中島みゆき 「時代」

ショートストーリー:別れと出会いを繰り返し

(2016年01月07日更新)

  • 子どものころから我慢ばかりしている。 親は共働きで家にずっとおらず、そうして過ごしてきたからか一人でいることが楽で、人と行動するのが苦手になった。 人といるときは我慢することになるし、そもそも人を好きになることもあまり多くはなかった。 それは異性でも同じで、好きですと付き合ってみても、好きかどうかわからず、結局よくわからないまま終わるということもあった。 一緒にいてくれた子にとっては迷惑な話だが、やってみなくちゃ分からない。 そばにいることで好きになるということもあるかもしれないと、経験が無い頃は思っていた。 だけど、いつかは本当に好きな人が現れて、その人を知ることで、好きというものがどういうことか理解するようになる。 そして学習した好きという感情は、いくつかのひな型に焼きうつされ、今までの人生の中で幾度か、思い起こされた。 きっかけは大したことではない。 ただ歩く姿が美しかった。話し方の波長が合った。笑顔に魅かれた。 いくつかのきっかけで、好きになった時のひな型を思い出し、好意を寄せていく。 その日もごく日常の風景の中で、それは思い起こされた。 会社を終えて歩いていると後ろから自分の名前を呼ぶ声がする。 振り返ると別の部門の仲良くしてくれている女の子で、笑顔のまま小走りで駆けてくる。 そんなごく普通の笑顔に、別の時代の風景を思い出す。 本当に何でもないある日に、駅の改札から当時付き合っていた女の子が嬉しそうにかけてくる姿を見た時に、ああ僕はこの人が本当に好きなんだと思ったことがある。 笑顔を見れて幸せだし、何よりも一緒にいられることが素敵なことだと思った。 しかし、いつかはそんな彼女とも離れ、違う場所で暮らしを始めていく。 その度にしんどい思いをして、ああこんなしんどいのなら好きにならなけりゃよかったと思うのだが、幾度か同じことを繰り返す。 そして幾度かそんなことを繰り返した結果、今自分がここにいることを知る。 これまでいろんな感情を超えて、いろんなことを我慢してきた。 好きという感情も、慣れてしまえば楽しい気持ちの高揚である。 感情の機微をとらえれば、それを失う悲しみも、そんなに憂鬱ではない。 感情をコントロールできるから大人であって、感情に身を任せると人を傷つけてしまう。 だから静かに時間が過ぎ去るのを待ち、僕はまた次の時間を過ごしていく。 何気ない風景がなぜか記憶に残ることがある。 学生時代に通った駅のホームの何気ない青空。 スキーから帰る車中の曇りガラスの向こう側。 そんな何てことのない景色は、時代の記憶としてポスターみたいに貼り付いている。 ふとした瞬間にそんな時代の記憶がフラッシュバックする。 同時に記憶はその時の感情も思い起こさせる。 時代はまわる 別れと出会いを繰り返しながら。 人は記憶の中で時代を巡り、同時に別れと出会いを思い返す。 そんなことを考えているとは知らず、女の子は自分の話を話し始める。 マイペースで、少し我儘で気分屋だけど、可愛い笑顔といろんなものにとらわれない無邪気さがある。 ああ、なるほど僕はこの人が好きなんだと思うが、それはただ時代を繰り返しているだけである。 何気ない風景が記憶に残り、それがフラッシュバックするのと同じように、僕は好きという感情をフラッシュバックさせている。 それは偶然であり、必然なのかもしれない。 時は過ぎ去りあなたは残る。 僕はいくつかある記憶の美しい部分を糧に、今を生きている。 その記憶を作ってくれた人に感謝をしているし、大切なことは変わりはない。 そして僕は記憶の中の時代を何度も繰り返している。 いつか満たされて繰り返す時代が終わることを、どこかで望みながら。
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