スピッツ 「スターゲイザー」

ショートストーリー:明日君がいなきゃ困る

(2013年06月30日更新)

  • 会社を辞めようと思っているのだが、次のあてもなく、子どもも小さいのでなかなか踏ん切りがつかない。 妻もあまり自分を愛してはいないようで、自分を家庭を維持するための材料程度にしか思っていない節があるので、その考えには当然反対のようだ。 そもそも弱音を見せた時に妻が労いを見せて接してくれたことは、こちらから強要したケースを除けば、本当に数少ない。 知り合ってもう10年近くになりそうだが、彼女が何を考えて自分といるのかは正直わからない。 とは言え、もうすっかり40を過ぎた夫婦が、いつまでも若い時のままで、愛情だけでつながっているということも、考えていれば甘い考えで、どちらかといえば妻の振る舞いの方が正しいような気はする。 動物の最大の仕事が子育てであると考えれば、そのための生活が一番にあるのはしょうがないことなのだろう。 一般に女性の方がいつまでも愛情を求め、男性は生活を中心に考えるのであれば、もしかすると自分は、女性的なのかもしれなく、妻はどちらかというと男性的なのかもしれない。 特に問題がないと思われる仕事環境で、妻も家庭をよく守ってくれている。 そんな状況に不満を持ち、今の生活を壊してまで会社を辞めてしまいたいと思うことが、あるいは子ども地味ているのかもしれない。 しかし、そんな理性ある考え方は日に日に自身を追い詰め、何だか毎日の生活に些か疲れていた。 そんな時に彼女に出会った。 折しも部署異動があって、新しい配属先で出会った彼女は、まだ大学卒業したてのあどけなさがあって、楚々として、そして驚く程素敵な笑顔を持っていた。 「可愛い子だなあ」 最初はそれくらいだった。 正確に言うと、それ以上の感情はとうにどこかに置いてきて、忘れかけてしまっていた。 そもそも7年前に、恋愛はもうしんどいなあと思って結婚したので、この先誰かを好きになるとは思いもしなかった。 しかし、そう思ってから、彼女のことを気にするようになるのに、そんなに時間は必要なかった。 当時残業は当たり前だった仕事が、配属先が変わっても一向に変わらず、特に繁忙期の冬場は、毎日4時間強の残業は当たり前で、午前様も珍しくなかった。 その癖パソコンに向かって日がなプログラムを打ったり、チラシを作ったりしていたので、とんと人とも話をせずに一日が終わることも珍しくなかった。 しかも帰りが遅く、家族とも休みの日くらいしか会わない状況で、家に帰ると、電子レンジの中に冷たくなったオカズが入っていて、それを酒で流し込む。 そんな生活が幾年も続いて慣れていたとは言え、いつからこんな生活を送るようになったんだろうと毎日考えていた。 ある日、いつものように会社でパソコンに向かっていると、彼女が楽しそうに電話で話している姿が見えた。 それを見た瞬間に、言いようもない安堵感がこみ上げ、心が軽くなる感じがした。 まるで闇夜に輝く星の光を見つめているような。 しかし、直ぐにそう感じてしまった自分に悔い、中年のいやらしさを感じて嫌悪感を覚えた。 だけど、反省の気持ちとはうらはらに、その日から疲れた時に彼女を盗み見る癖がついてしまった。 「あの子彼氏いないらしいですよ」 暫くして、後輩の女の子がそう教えてくれた。 しかし、だからといって何をするのかを問えば、何もするべきではないし、するつもりもない。 この頃になると彼女のことがはっきりと好きであることは十分に理解していたが、だからと言ってその思いを伝えることが、自分の、または彼女の幸せなのかと言えばそうではないし、そもそも彼女の事を何も知らない状態で、色恋を語るのはやはりどこかで屈折をしている。 しかし彼女のことを知るための行動を取ることは、家族のいる以上してはいけないので、ジレンマに駆られ、それならばと話をすることも止めて、ただこの思いがいつか消え去るまで、じっと彼女を思っておこうと思った。 その内に当然のように彼女にも彼氏が出来て、そして自然の流れで、会社を辞めることになった。 送別会の酒の席で、彼女が幸せそうに餞別のエプロンを広げておどける姿に、少し切なさはあったが、嬉しさで満たされていた。 彼女とは数年間同じ職場にいて、彼女のほとんどを知ることはなかったが、彼女の笑顔を見ながら、その笑顔で再び心が軽くなることに、彼女が自分に呉れたものの多さに、改めて感謝をしたかった。 それは自分で勝手に作り上げたものなのだが、本当は口にして言いたかった。 「ありがとう。僕は貴方が好きでした。幸せになってください。」 だけど明日からは彼女はいない。 今まで勝手に自分の支えとしていた女の子が、明日にはもういない。 またひとりぼっちの切ない夜がやって来る。また闇夜に輝く星を探さなければならない。明日君がいなきゃ困る。 そんなことを考えながら酒を飲んでいると、最近同じ部署に配属された女の子が、少し酔っ払った様子で近寄ってきてこう言う。 「先輩。このお漬物美味しいですよ。あーんしてください」 そう言って、しなだれた漬物を口元に近づけてくる。 彼女の手は、ごく自然に内ももを触り、少しとろんとした目で見つめてくる。 その瞳は内向的だが、しかしどこかで凛とした強さを秘めていた。彼女の笑顔は女性のやわらかさを持っていて、同時に夏に咲くひまわりのように愛らしくもあった。 「星が見つかった」 はい。おめでとう。
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