斉藤由貴 「卒業」

ショートストーリー:でも過ぎる季節に流されて会えないことも知っている

(2012年12月04日更新)

  • 景子はこの日をどんなにか待ち望んでいたか知らない。 春が来て景子は高校卒業を迎えた。 4月からは大学に通う。 大学は家の家業の寿司屋の手伝いもしたいからという理由で、地元の大学に決めた。大学なんてどこでもよかった。 しかし家業などは長女の景子が継がなくても弟の亮二が継げば良いと親は考えていて、景子には大学に通いきちんとした道を歩んで欲しかったようだった。 景子は幼い頃からなぜだか勉強だけはできたため、親に過度に期待を持たせてしまったのかもしれない。 大学に通わないと言ったら、全力で反対されたので、何とか地元の適当な大学を見つけて進学することにしたのだが、両親は不満だったようだ。 しかし、景子には親と別の思いがあった。 景子には気にかかる人がいる。 相手はお店の常連で、いつも上品な帽子をかぶった、山際さんという50を過ぎたおじさんで、いつも景子のことをケイちゃんと呼んで優しく接してくれる。 しかし景子自信もこれがほんとに恋と呼んでいいのかを考えあぐねていた。 景子が山際さんのことを気にかけるようになったのはいつの頃だったか、雨の日に店に来て、いつもどおりに卵を注文して食べている時に、隣のホステス風の女に愛想よく挨拶をするのを見て、何だか腹立たしい気持ちになった時に、始めて何で私は腹を立てているんだろうと思ったことがきっかけだった。 その頃までは山際のことはただの気のいい常連くらいだったのだが、それからは彼がこない日は何だか落ち着かなくて、彼が来るのがわかると、自分の部屋でどんな楽しいことをしていても、階段を降りて言って店に出ている自分に気づいて、私はひょっとしたら、山際さんに恋をしているのかも、と景子は思い始めていた。 ある日、山際が一人でカウンターで座って酒を飲んでいる時に、景子は彼の酒を少しだけいただこうと、隣に座ってねだった。 景子にとってはただの冗談だったが、山際はとても怒った風に言った。 「ケイちゃん。男にご相伴を与ろうというのは、擦れた女がやるものだ。君はまだほんの子供じゃないか」 景子はその言葉に最初は少し戸惑って、ああ、私は彼を怒らせるようなことをしたんだ、と考えたが、すぐに自分自身が山際にとっては、まだまだ幼い子どもであるということを感じ、ひどく落ち込んだ。 私は少なくとも、山際と同列で、山際に好意を持っていたのに、彼は自分を少女としか見ていない。 景子は人知れず自分の部屋で泣いて、私はどうすれば大人になれるのかを必死で考えた。 ある日山際は店でこんな話をしていた。 話は岡本かの子の「鮨」という小説の話で、かの主人公は、まだ幼い少女で、少女が店の常連に恋をする。 常連は自由気ままな初老の男で、やがて彼が去ると少女の恋も覚めてしまうという内容だった。 山際は自分とその常連の客を照らして、自分もこの街に飽きたら次の街に引き越すと言っていた。 景子はその話を少し複雑な気持ちで聞いていた。 景子の前から山際が消えてしまうこと。そして、そうすると私の恋も覚めると山際がまるで私に言っているような感じがしたこと。 私のこの思いは山際には悟られていないと思っていたが、山際はとっくに私のこの気持ちを知っていたのだと思うと、景子は恥ずかしさと悔しさが入り混じった気持ちになって、その場にいられなくなった。 その日も景子は、自身の気持ちの行き場に悩み、苦しんで、ただ彼のことを忘れる方法を一生懸命に考えた。 いつしか景子はこう考えるようになる。 私はきっとまだ学生だから、彼のような人には幼く見えるのだ。 私が一つ成長をすることで、彼の視界に入ることができる。 私はまだ幼すぎたのだ。 高校を卒業したことで、景子は自身が一つ成長したと思いたかった。 そして少しでも大人の女性として、山際の視線に止まりたかった。 卒業はそのひとつの区切りであって、私はこの区切りを超えることで、一つ彼に近づけるのだ。 景子にとって卒業式で泣いて友との別れを悲しむことは、たいした重要性は無かった。 卒業式で泣かないと冷たい人と言われても、私はもっと悲しい瞬間を知っているので泣くことはできない。 景子は卒業証書を持って、家に帰った。 今日から何かが変わる。 そう信じて景子は新しい扉を開いた。 家には両親が、何やら黒い服を来て、どこかに出かける用意をしている。 景子を見ると何となくぼんやりとした目をして「おかえり、卒業おめでとう」とだけ言った。 景子は両親に何かあったのかを尋ねる。 父は、特に感慨もなさげにネクタイを首に通しながら答えた。 「山際さんが亡くなったんだよ。今から通夜に行くんで、今日は店は休みにする。」 そう言って母親は、卒業の祝いができなくてごめんとだけ加えた。 景子は何が何だかわからない気持ちになって、とりあえず両親に「気をつけて」というのが精一杯だった。 景子は今ではその当時の山際への思いを思い出すと、何となくくすぐったさを覚える。 それは自身の青さに対しての恥ずかしさではなく、自身の真摯な思いに対して、何だかくすぐったさを覚えるのだ。 景子は今ではこう思うようにしている。 山際は死んだのではなくて、どこかの寿司屋に通うようになったのだと。 何故なら寿司屋はどこにでもあるのだもの。 そう思うようにしている。
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