クリーム「Sunshine of Your Love」

俺はこんなに長い間待ってたんだ

(2012年12月05日更新)

  • ビラビラのボヘミアンスタイルに、ボブ・ディランさながらのもじゃもじゃの髪型。 女物のブラウスをかけた木偶のような見た目。 飛行機パイロットのような出で立ちの目つきの鋭い男。 しかしそんな異形の彼らの作り出す音楽は、ブルースに愚直なまでに忠実で、陶酔的なサウンドを生み出していく。 ブルースブレイカーズを辞めたエリック・クラプトンは、その当時知り合ったジャック・ブルース、ジンジャー・ベーカーとバンドを組むことを決める。 クラプトンはヤードバーズの10代の頃から、ギターテクニックでは右に出るものは無いという評判だったが、ポップスへの系統を嫌い、頑なに自分の愛するブルースギタリストの道を歩んでいた。 そんな彼が次に選んだ道が、演奏が並外れていた二人のミュージシャンと結成した「クリーム」だった。 1966年7月に結成された当時、クラプトンは音楽誌にこのようなことを語っていた。 自分は彼らとバンドを組むことを考えていた。しかし実現するとは思っていなかった。それは彼らの演奏が余りにも個性的だったから。 そう思ったのは、彼らのテクニックが余りにも優れていて、尚且つジンジャーの演奏は限りなくジャジーだったからである。 要は方向性が違い、演奏も上手すぎてうまくいかないのではないか?ということである。 クラプトンの見立てはある意味で正しかった。 ジャックのベースラインはクラシックを彷彿とさせ、時にベースを超えた複雑なラインを強調させ、ジンジャーのドラムはアフリカのリズムを思わせ、しかし情熱的で激しい、実にハードな演奏を行なった。 個性は時にありすぎると衝突を起こす。 結成当初はこの衝突がさらなる摩擦を生み、それがロックとして昇華され、彼らの音楽はハイ・トラディショナルなブルース・ロック・バンドとして位置づけされた。 時代はヒッピーに代表されるフラワームーブメントに移行する頃で、エフェクトと電子機器を使ったクラプトンの音楽は、サイケデリックな象徴として聞くものを魅了した。 しかし、クラプトンはその根底にあるブルースからズレず、いぶし銀的な音を奏でていた。 彼らは音楽をシリアスに聞かれることを望み、同時に自分たちが愛したコアなブルースファンにしか知られなかった、過去のブルースミュージシャンたちを世のロックファンたちの前に紹介した。 やがて2枚目のアルバム「DISRAELI GEARS(カラフル・クリーム)」の2曲目、「Sunshine of Your Love」のヒットを出したが、彼らの音楽はレコードによる商業的な成功より寧ろ、ライブ演奏での人気が高かった。 だが、個性の衝突はそのまま良い形で留まるはずがなかった。 やがてクラプトンが暗示したように、彼らは彼らの音楽的個性を衝突させ、終わりを迎える。 3枚目のアルバム「WHEELS OF FIRE CREAM(クリームの素晴らしき世界)」では、フィルモアコンサートでの演奏が収録され、2曲目の彼らの代表曲「spoonful」では3者の音楽が互いにぶつかり合い、お互いを壊し合い、ただ冗長な印象を持つ。 このアルバムが指し示すように、彼らの音楽的な方向性が全く別のベクトルを向いていることは明らかだった。 そしてその年彼らのバンドは解散し、ラストアルバムである「Goodby CREAM」で幕を閉じる。 クリームは、あるいはクラプトンにとって試験的なバンドだったのかもしれない。 彼の追求したブルースギタリストとしての高みの中で、すべての人が自分の音楽に酔いしれる時を思い描き、それぞれの音楽に多様な個性を見せた二人のミュージシャンを引き連れ、そのような現実を得ようとして試したのかもしれない。 言わば彼の愛するブルースを、圧倒的な演奏力で目の前に迫力ある音楽として見せつける。 その姿こそがクラプトンのクリームに対する思いだったのかもしれない。 I've been waiting so long 「俺はこんなに長い間待ってたんだ To be where I'm going お前の愛の輝きの中に In the sunshine of your love 入っていくために」 彼のブルースへの傾斜は輝きとして明示され、その輝きが大衆にも浸透し熱狂をする。 それこそがクリームの存在理由だったのかもしれない。
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