ジ・アニマルズ「The House Of The Rising Sun(朝日のあたる家)」

おれはニューオーリンズに戻ろうとしている 重りの玉と鎖をつけるために

(2012年09月28日更新)

  • 煤けた空は、工業の排ガスの影響なのか、それともこの地方特有の雨模様なのか。 毎日繰り返される単調な作業と、過酷な肉体労働。 炭鉱の街には、薄汚れたレンガの壁と、油圧式の掘削機の古い油の匂いが染み込んでいた。 労働者階級の若者たちは、鬱屈した感情を、終末のバカ騒ぎと、喧嘩と、音楽に吐き出していた。 そんな若者を抱えるイングランドの、ニュー・キャッスル・オン・タインという港町で、アニマルズは結成される。 ビートルズを生んだリヴァプールと同じく、海外の、とりわけアメリカの音楽を船乗りが運ぶ港町で、オルガニストのアラン・プライスはR&Bに夢中になる。 バンドを結成してしばらくして加入したボーカルのエリック・バートンの声は、アランが求める音楽にとっては格好だった。 当初バンドは「アラン・プライス・コンボ」を名乗っていたが、エリックの荒々しい歌声に観客が「アニマル」と叫んだことから、「アニマルズ」にバンド名を変える。 彼の歌声は鬱屈した不満のようなものを吐き出すかのようで、地元のパブやクラブで演奏するようになると、すぐにプロデューサーのミッキー・モストの目に止まり、1963年にはデビューシングルの「Baby Let Me Take You Home」をリリースさせる。 このシングルは元はボブ・ディランの曲で、ボブは彼らのようなバンドが自分の曲を全く違う形で演奏するのを見て、衝撃を受けたという。 デビューシングルは順調に売れ、全英チャートの20位以内に入るヒットとなる。 1964年6月に最初のアルバムからシングルとしてリリースされた「The House of the Rising Sun(朝日のあたる家)」は、同じくボブ・ディランのデビューアルバムの曲だが、ビルボード誌の3週連続一位を記録し、イギリスやスウェーデンなどでもチャートを席巻するほどの、世界的なヒットを見る。 エリック・バートンはこの曲の成功で、その年のニュー・ミュージカル・エキスプレス誌で、ベスト・ホワイト・ブルース・シンガーの称号を得ている。 この曲を聞くと、エリックの歌声が、まるでスピーカーからこぼれ落ちているかのような錯覚を覚える。 その声は獣というよりは、荒々しい武者のようで、空気自身を震えさせ、聴く者の五感を揺さぶる。 その後に出されるシングルも順調に売り上げを伸ばし、バンドは順調に見えた。 しかし、崩壊は急に訪れる。 メンバー内の諍いでアランが脱退すると、「僕が抜けたらミリオンセラーは作ることができない」という彼の予言通り、バンドはそれなりのヒットを飛ばし「悲しき願い」のような優れた曲も送り出すが、最盛期のそれには及ばなかった。 確かにバンドには、エリックの吠えるような歌声に対する、アランのあのクールなオルガンが必要だったのだ。 その後エリックは自らの名前を拝した形で、新生アニマルズとして活動し、一時はサイケブームのサンフランシスコにも腰を据えるが、ポップやサイケへの変更などとてもではないが難しく、1969年にはバンドはもう解散しか道はなくなっていた。 その後のエリックは、白い黒人になるために、ソウルにこだわる。 初期アニマルズを支えたその真摯さが、却って彼のその他の音楽への揺さぶりに繋がり、彼はその中で自らの道を断ち切ってしまった。 With one foot on the platform 片足をホームに乗せ And the other foot on the train もう一方の足を列車に乗せて I'm going back to New Orleans おれはニューオーリンズに戻ろうとしている To wear that ball and chain 重りの玉と鎖をつけるために・・・ 一時の彼にとってソウルは重りでしかなかったのかもしれない。 しかし彼はその重りをもう一度付けるために、狂気にも似たシャウトを繰り返す。
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