ドアーズ「The End」

僕達が苦労して作り上げた計画も終わりだ

(2012年09月24日更新)

  • 「いやがる人たちを巻き込むたくないんだ」 ジム・モリソンは自分の生い立ちをあまり語ろうとはしなかった。 それは彼自身の生い立ちに対する憎悪だったのか。はたまた、自らの贖罪故なのか。 それとも限りない陶酔の世界で、彼は終わらない思考の中に生きていこうとしたのか。 「この世には知覚されるものと、されないものがあり、その間には扉がある」 ウィリアム・ブレイク「知覚の扉」の言葉はそのまま、彼のバンドの名前となる。 ジェイムス・ダグラス・モリソンはフロリダ州メルボルンで生まれ、海軍の軍人で後に提督にまでなる父の仕事の影響で、相次ぐ転校をきっかけにして、いつしか読書を愛する少年になっていく。 高校卒業後は、いくつかの大学を転々とながら、最終的にはロサンゼルスのUCLAで映画を専攻した。 「映画には権威がないから」 後に彼はそう語っていた。 あるのは作品の評価だけで、そこに権威や、知識の差などは関係がない。 ジムにとっての映画は、そのままロックにも結びついた。 1965年7月。ジムは同じ映画学校で、将来を有望視されていたレイ・マンザレクと音楽について語り合う。 レイは、自身が「リック・&レイブンス」というバンドのキーボードを担当していたこともあり、ビルの屋上に住んで歌を書いているという、一風変わった同級生の歌を聴き、その才能を見抜く。 Let's swim to the moon, 月まで泳いで行こう Let's climb through the tide 波の流れを縫うようにして登ろう Penetrate the evening 夜を貫いて That the city sleeps to hide 街が隠れるように眠り込んでるこの夜を Let's swim out tonight, 泳ぎに行くのさ、今夜は、 後に「ムーンライト・ドライブ」として世に出ることになるが、レイはこの詩の雰囲気に魅了され、すぐさまジムとバンドを組む。 その後、ジャズ・ドラマーのジョン・デンズモアが加わり、マンザレクの兄弟のリックとジムがギターを担当して、2ヶ月後には、12曲のデモ入りテープを完成させる。 デモテープはCBSで短期の契約にまで結びつくが、CBSは彼らにマネージメントらしきものは一切行わず、結局彼らは自ら演奏する場所を探さなければならなかった。 ギターがジョンの友人で、ジャグ・バンド(瓶などの手製の楽器を使うバンド)にいたロビー・クリーガーに変わる頃に、ウィスキー・ア・ゴーゴーでハウスバンドとして契約するようになると、ジムの舞台でのカリスマ性が爆発する。 いつしかエレクトラ・レコードの社長に目にとまり、1966年の秋には、スタジオでデビューアルバムの録音を始めていた。 「心が洗われるようだった」 プロデューサーを務めたポール・ロスチャイルドはレコーディングの当時の様子をこう表現した。 ロスはドアーズを、ロックンロール最大のドラマの始まりを予感したのだろう。 その予感は的中する。 デビューシングル「Light My Fire(ハートに火をつけて)」は、そのキャッチーな曲調で一躍大ヒットする。 陰りのあるジムの容貌と、その荒れ狂ったパフォーマンスによってその人気は不動のものとなり、ジムはファッション誌のVogueやシックスティーン・マガジンの表紙を飾り、一気にスターへの階段を上り始める。 ステージでのジムは、くねくねと体をよじらせ、爆発したかと思うと、気絶したように倒れこみ、その陶酔と情熱の中で、彼はまるで自らの終わりを演出するように歌い続けた。 やがてファンは彼の芸術性と、ロックのスターとをダブらせるようになり、それがそのままバンドのジレンマになっていく。 「ハートに火をつけて」はレイのキーボードが冗長で、退屈だというものや、ジムのパフォーマンスに対し、ヤジを飛ばすものも現れる。 ジムにとって音楽は自らの芸術を押し広げるための一種の儀式のようなもので、自らのパフォーマンスを行わなければ、彼の音楽は死んでしまう。 そのジレンマはやがて酒へと転化され、周りを巻き込む。 ジムは泥酔してステージに登ったり、与太りながらステージ上で横転したりを繰り返しながら、遂には1969年3月のマイアミのディナー・キー・オーディトリアムに出演中に、ステージ場で陰部を出し自慰行為の真似をした事で逮捕をされてしまう。 かろうじて告訴は免がれたものの、確かにバンドの終焉は近づいていた。 1971年にエレクトラとの契約を終えると、ジムは恋人のパメラ・カーソンの待つパリへと旅立つ。 彼はそこで第二の人生を生きるため詩作や、映画を作る夢を実現するために動き出していた。 同時に体重は深酒で増え続け、呼吸疾患のため家にひきこもりがちだった。 1971年7月3日、朝早くに起きた彼はバスタブに湯を張り、風呂に入るとそのまま息を引き取った。 心臓発作による急死だった。 60年代を駆け抜けていった、反逆のカリスマの最後は穏やかで安らかなものだった。 それは彼がデビューアルバムで歌った「The End」の冒頭ように、静けさに包まれていた。 This is the end これで終わりだ Beautiful friend 美しき友よ This is the end これで終わりだ My only friend, the end 僕のただ一人の友よ終わりだ Of our elaborate plans, the end 僕達が苦労して作り上げた計画も終わりだ Of everything that stands, the end あらゆる意味をなすものすべてが終わりだ No safety or surprise, the end 安心もなければ驚きもない・・・終わりだ I'll never look into your eyes again 僕は君の目の中を、決してのぞき込まないよ・・・二度と 彼の死はしばらく伏せられ、その後密やかにパリのペール・ラシェーズの墓地に埋葬された。 彼と最期を過ごした恋人のパメラは、その後彼と同じ27歳でヘロインの過剰摂取で逝去する。 その後も彼の死を悼むファンは後を絶たない。
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