ボブ・ディラン「Like a Rolling Stone」

まるで転がる石つぶてのようだろう?

(2012年09月21日更新)

  • 「ガスリーは僕の最後のアイドルだ。その先は僕自身が僕のアイドルになるだろう」 そういった青年の目は、どこかギラギラとした野心を持って、そして何ものにも媚びない、強い光を放っていた。 彼の名前はボブ・ディランと言った。 ディランは、ガスリーが持つアメリカの民謡的な音楽の流れと、詩的表現、もしくは社会の中に生きる普通の人々の感情を歌う術を見つけ出す。 そしてディランは、その言葉通りに、様々な移り変わりを見せながら、多くの後を歩くミュージシャンに影響を与える。 彼のアイデンティティは、彼自身が「ボブ・ディラン」と名乗ることで始まったと言える。 高校時代の彼は、プレスリーに憧れ、リトル・リチャードやバディ・ホリーなどをコピーしていたバンドでロカビリーを演奏していた。 その後ミネソタ州立大学に入るが、1年も経たずに中退して、ディンキータウン周辺のコーヒーハウスで歌い始める。 自分の経歴をオクラホマから来た孤児だの、旅回りの芸人だっただのと、自らの経歴を様々に言い換えていた。 このころから既に、本名ロバート・アレン・ジマーマンから、詩人のディラン・トーマスから取った「ボブ・ディラン」を名乗り始めていた彼は、放浪の歌手ウディ・ガズリーと出会い、魅了される。 ガズリーのアメリカのあらゆる景色を表現した詩と曲調を吸収し、やがて彼はフォークソングのステージに立つことになる。 初期の彼の曲作りは、完全にウディ・ガズリーのモノマネだったが、やがて彼自身の才能である自らの歌詞を、古いフォークソングの旋律に乗せることで、新しいものを創造していった。 やがて彼の楽曲はコロムビア・レコードのジョン・ハモンドに見出され、1962年には「ボブ・ディラン」でレコードデビューを果たす。 しかし、彼はすぐには受け入れられず、最初は「変な歌い方で唄うシンガーソングライター」位の評価で、彼をスターダムにのし上げたのは、1963年にリリースされた2枚目のアルバム、「フリーホイーリン・ボブ・ディラン」に収められた1曲目「Blowin' in the Wind (風に吹かれて)」をピーター・ポール&マリーがカバーし、発売後2週間で30万枚の大ヒットをしたことで、歌は当時の公民権運動による、反体制運動の聖歌として定着し、彼を一気に時代の寵児へと祭り上げる。 ニューポート・フォーク・フェスティバルに登場したディランは、若者のニューヒーローとして受け入れられたのである。 「フォークの貴公子」として受け入れられた彼は、同じく「フォークの女王」として名を知られていたジョーン・バエズと行動を共にし、バエズも積極的に彼の楽曲を歌うようになる。 時代の代弁者となった彼は、同時にプロテストソングに対して疑問を持つようになっていた。 「貴方はどちら側(体制側か反体制側か)についているのですか?」の質問に対し「貴方はどちら側かにつけるのですか?」と聞き返したそうである。 3枚目のアルバム「The Times They Are a-Changin' (時代は変わる)」で表題曲が売れる中、その疑問はやがて形となって現れる。 4枚目の「アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン」では、すっかりプロテストソングのイメージを払拭すると、次のステージに移ろうとしていた。 5枚目の「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」ではエレクトリック音楽を積極的に取り入れ、ディランの曲はフォークからロックへ移行していく。 それはフォークファンからすればロックは音楽の商業主義の象徴であり、完全な裏切り行為だった。 しかし、そのタイトルからも分かるように、彼はもともとロックから始まっていて、また同時に、自らの歌詞が「アニマルズ」や「バーズ」という、若いロックグループよってカバーされ、エレキという新しいアプローチによって、十色に輝く音色に変換されることを痛切に感じたことも大きかった。 その後も「追憶のハイウェイ61」「ブロンド・オン・ブロンド」と、電子音を使ったアルバムを矢継ぎ早に発表し、ディランは新しいファンに受け入れられていく。 「僕の言葉は絵だ。ロックはそれに肉付けをしてくれる」 彼が言うように、「追憶のハイウェイ61」は自身のアルバムの中でも最高の売り上げを記録する。 その中の楽曲「ライク・ア・ローリングストーン」は、キャッシュボックス誌ではじめて、そして唯一のシングルチャートNo.1を記録する。 彼の詩は、多くの後人達のカバーによって輝きを増していく。 彼自身は「罠にかかったリスのような声」で、「下手な演奏」を繰り返すミュージシャンだった。 しかし、彼の楽曲はフォークソングの中に自らの詩を乗せ、またはロックの血統のなかにカントリーを内包させ、同時にフォークで掴んだ繊細な詩を埋め込んでいく。 そしてまた後人達が、その個性の中に光り輝く彼の詩を含ませ、大きな音楽の潮流を作り出していく。 ディランの歩む道は何もない荒野の一本道で、しかし、その後ろに彼の足あとはなく、大きな草や木が生い茂る。 それは自らが作る言葉に、自らが立ち向かうように見え、その姿が何よりもロックを感じてしまう。 How does it feel ? どんな気がする? How does it feel ? どんな気がする? To be on your own 独りで生きることが With no direction home 家がどこかも判らなくて Like a complete unknown まるで誰にも全く知られずにいるということは Like a rolling stone ? まるで転がる石つぶてのようだろう? 彼は、その足跡を自ら消して進むことに、自らの才能を預けたのかもしれない。 その気分は、凡人の僕には一生分かりそうもない。
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