ジャニス・ジョプリン「Me And Bobby McGee」

いい気分になるだけで 私には本当に十分過ぎたの

(2012年09月19日更新)

  • ペッド・ミドラー主演の「ローズ」の中で、主人公の女の子は、力強い唄歌いであると同時に、ジェームス・ディーンに憧れる、ティーンの女の子でもあった。 子どもの頃、周りの皆はあたしにこういった。 『お前は不幸になるよ。大人になると世の中は冷たいよ』って。 あたしはそれを本気にしたわ。 ジャニスはそんな自分を取り巻くありふれた世界を壊すために歌い、しかし壊した世界のその先にある幸せを探すことができないまま、この世を去っていく。 ジャニスはテキサス州の石油精製基地で働く労働者の家の3人兄妹の長女として生まれた。 小さな頃から聖歌隊に参加し、地元の大学に入学するまで、他と変わりばえしない少女時代を過ごす。 しかし、彼女は決して恵まれていたわけではなかった。 器量もよくなく、太っていたこともあって、テキサス大学では学校一のブスに選ばれてしまう。 彼女は周りの全てを憎み、大学をドロップアウトすると、そのままビートニクの仲間に加わるべくサンフランシスコに向かう。 テキサスの保守的な空気も彼女を退屈させていたのかもしれない。 当時の彼女の様子は「完全に麻薬患者だった」と言うくらい、覚せい剤やヘロインを常習し、まもなくメセドリン中毒の治療のため、しぶしぶテキサスに戻ることになる。 療養中に彼女は神の声を聞く。 「お前は歌手である」 オデッタのレコードを聴きながら、その強烈な啓示に導かれるように、彼女は1966年に再びサンフランシスコに戻ることになる。 時はヒッピー・ムーブメントで、自分の体のコンプレックスから着ていたダボ付いた服で、彼女はブルースを歌うようになる。 しゃがれた声と、小柄な体。 しかし、巨人のような力強さを秘めた歌に、ビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニーのマネージャー、チェット・ヘルムスの目にとまり、間もなく彼女はサンフランシスコのヒップカルチャーの中核を担うようになる。 60年代後半のミュージックシーンは、特にサンフランシスコではサイケデリック文化の祭典だった。 首には沢山のアクセ、髪は特にセットもせず、歌の合間には陶酔に似た演奏が続き、また彼女の太陽のような、そして同時に悲しげなブルースの歌声が、会場に響く。 それはまるで夢の中の出来事のようだった。 モンタレー・ポップ・フェスティバルの成功のあと、彼女はバンドと不仲になっていく。 彼女自身が成功によって、周りの悪い意見に左右されたこともあったのかもしれない。 または原因は嫉妬や、音楽性への不満だったのかもしれないが、ビッグ・ブラザーズとの演奏は、アルバム「チープ・スリル」に収められている音源を聞いてもわかるように、雑ではあるが荒々しい彼女の歌声にマッチした、キレのある音が拾える。 特に「サマータイム」は、ロックの珠玉の名作として名を残し、夏の寂しい夕暮れを思わせる、切ない楽曲である。 モンタレーから1年半経ったサンフランシスコのコンサートを最後に、ビッグ・ブラザーと決別したジャニスは、その後彼女自身ソウル音楽を前進させるため、ブラスセクションとサックスセクションを持つバンドを結成するが、上手くいかなかった。 ファンはある種、ジャニスの荒削りさの信徒であり、より高いセッションを望まなかったのかもしれない。 ジャニスは理想のバンドを求め、心にブルースを抱えながら、酒とドラッグに溺れていく。 同時にそれは若かりし頃、不遇だったことで、愛を求め、男を求め、そして羨望を求めていたのかもしれない。 やがて放浪した先でようやくフルティルト・ブギー・バンドと出会い、心の底から音楽を楽しむことができるようになる。 私生活でも婚約を発表し、正にこれからという時に、彼女は死を迎える。 1970年10月。ジャニスはロサンゼルスのモーテルで、27歳の孤独な死を迎えた。 奇しくもモンタレーで同じく脚光を浴びたジミ・ヘンドリックスが夭折した、わずか1ヶ月後の出来事だった。 彼女自身の最高傑作となるアルバム「パール」はほぼ完成していた。 彼女の死は不可解の一言ではあったが、彼女自身はまだ、大きな不安を抱えていたのかもしれない。 彼女は言う。 「いい人が現れて、その人のそばにいて、ささやかな団欒をもてれば全て解決するだろう。だけどそれでは解決しないって分かったの。いつも何かがあってうまくなんて行かないってこと。」 彼女の最大のヒット曲「Me And Bobby McGee」ではこんな歌詞がある。 Freedom's just another word for nothin' left to lose 自由って事は 失う物が何もないってこと Nothin', AND that's all that Bobby left me, yeah 自由でなけりゃ、意味なんてなにもないわ But, feelin' good was easy, Lord, when he sang the blues でも彼がブルースを唄うと 簡単にいい気分になるの Hey, feelin' good was good enough for me, Mm-hmm いい気分になるだけで 私には本当に十分過ぎたの Good enough for me and my Bobby Mcgee 私とボビー・マギーには 彼女はブルースとともに生き、ブルースを愛した。 そして彼女は自分がブルースを歌うことで愛されることを知っていた。 だけど、本当の彼女は、もっと単純で、純粋な愛に満たされたかったのかもしれない。 切なすぎる彼女の歌声を聞くと、どうしてもそう感じずにはいられない。
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