ザ・フー「MY GENERATHION」

そうさ、俺は年寄りになる前に死ねればいいと思ってる

(2012年07月14日更新)

  • 「俺たちのバンドを支えているのは憎しみさ」 演奏を終えたピート・タウンゼントはこう言い放った。 ティーンの頃に抱いていた、何がしかわからない憎しみのようなものをバンドは持ち続け、その音源はティーンの感情をストレートに表現していた。 ザ・フーはイギリスで生まれた。 1963年にバンジョーを弾いていたピート・タウンゼントと、トランペットを吹いていたジョン・エントウィッスルの二人に、暴れ者ロジャー・ダルトリーが加わり、デイトゥアーズとう名で結成されたバンドは、最初は真っ赤なジャケットを着て、パブでヒット曲を演奏していた。 ピート・タウンゼントの申し出で、ブルースをはじめた頃には、彼らはザ・フーとしてスタートをする。 ある晩、グリーンフィールドのホテルで「ハイ・ナンバーズ」と名乗って演奏をしていた彼らに、突如「俺の方がドラムが上手い」とバンドのドラマーであるダグ・サンデンを挑発し、試しに演奏させると、ドラムセットを叩き壊す演奏を披露する「破壊男」キース・ムーンという個性的な男を迎え入れる。 バンドはその後、ヤードバーズなど優れたブルースバンドが台頭する中、趣旨変更を行い、再びザ・フーで活動を開始する頃には、当時の流行でもあったモータウン・サウンドを取り入れることで、少しづつ成功への階段を登り始める。 1965年に発表された「マイ・ジェネレーション」は全英2位のヒットとなり、以降バンドのロックスタイルが定着する。 バンドの音楽は若者の支持を取り、そのスタイルはモッズ・カルチャーと呼ばれた若者文化に融合していく。 その熱狂は、バンドの演奏スタイルにも結びついていく。 ある日、レイルウェイ・タヴァンというパブで演奏していたピートは、いつもの様にギターを抱えて飛び上がった瞬間に、低い天井にギターのネックをぶつけてしまう。 その瞬間にギターのバズが鳴ったのを悪乗りしたピートが、勢い勇んでそのまま、ギターを叩き壊してしまう。 それは若者の熱と同化し、壊し屋キースもドラムセットを蹴り倒す。 彼らの破壊の儀式は、こうして生まれ、以降数年間、かれらはその儀式を演奏のたびに披露しなければならなくなった。 1967年モンタレー・ポップフェスティバルでは、アメリカのロックファンの前でもその熱を披露し、彼らのステージの激しさに或者は熱狂をし、或者はあっけにとられた。 彼らのロックバンドとしてのステイタスは、こうして確立されていく。 しかし、60年代のめまぐるしい音楽の変化の中で、彼らはそれだけでは終わらなかった。 その後バンドは積極的にクラシックの技法を取り入れ、「ロック・オペラ」と呼ばれる楽曲を発表する。 少なからずも同じイギリスバンドのキンクスにも影響を受けていたようで、一風変わった試作的な楽曲を作り始める。 そしてコンセプトアルバムとして「ザ・フー・セル・アウト」や「トミー」「四重人格」などという、ロック史上金字塔として残る、劇的構成を持った作品を発表する。 ロックンローラーとしてのバンドは、いつしか芸術性を伴ったバンドへと彼らを押し上げていった。 I'm not tryin' to cause a big sensation, Talking about my generation 俺はセンセーションを起こそうとしてるんじゃいねえ(俺の世代について言ってんだ) I'm just talkin' 'bout my generation. Talking about my generation ただ俺の世代について語ってんだ(俺の世代について言ってんだ) People try to put us down 皆が俺達を押さえつけようとする Just because we get around 俺達があちこちウロウロとしているからといって Things they do look awful cold やつらがしていることはかなり冷ややかに見えないか I hope I die before I get old そうさ、俺は年寄りになる前に死ねればいいと思ってる 反発と怒りと夢が青春を作り上げ、彼らはロックという手法を武器に、若者たちの代弁者となった。 その切れ味の鋭い言葉は、今も変わらない輝きを放っている。
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