小林多喜二 蟹工船

戦わない人々のはけ口になっているだけであれば、この物語はただの寓話に終わってしまう

(2013年02月21日更新)

  • 今日の(2013年年2月20日)読売のコラムを読んでいて知ったのだが、今日は小林多喜二の没後80年だそうである。 つまり、1933年2月20日に小林多喜二が特高警察の激しい拷問の末亡くなった日だということだ。 小林多喜二についてはここでは敢えて触れないが、「おい地獄さ行えぐんだで!」から始まる有名な小説、蟹工船については知っている人も多いと思う。 最近非正規雇用の多い社会状況を反映してか、何故か若者の間で読まれたことで、再度脚光を浴びることとなる。 ここに描かれる搾取の構図が、今の自分達の現状に当てはまったのか、それとも鬱屈とした社会に対しての反逆が、若者の眠れる怒りを呼び覚ましたのか。 いずれにしても小説に影響されて社会への不満でも、抑えきれないエネルギーの発散でもいいので、良い方向に発起してくれると、それはそれでありがたい。 40代のおっちゃんから見たら、最近の若者は元気が無いように見えるので。(在りきたりな苦言ですが・・・) 僕は蟹工船がはっきり言って嫌いである。 何だか資本主義的な搾取の構図に対しての警告ような捉えられ方をしているようだが、僕には奴隷制度のような人種差別的な臭いがして、何だか時代がかった感じがしたからである。 「そうじゃん。資本主義って結局金持っているものが王様でしょ」 とおっしゃる方がいるかもしれないが、それを船の中の工場という、劇場がかった設定で見せられてしまうと、何となくだが鼻についてしまう。 結論ありきの討論を繰り広げた、かつての深夜番組の司会者のような鼻持ちならなさを感じてしまうのである。 しかし、「蟹工船」を引っさげて、あの軍部が幅を利かせ、「国家への忠誠」や「自己犠牲の精神」を国民に植え付けさせていた時代にあっては、その反骨精神たるや、凄まじい信念を感じる。 隣国が自国の上空にミサイルを飛ばしても、軍事費を減らせと宣う御仁がいらっしゃるような、のほほんとした社会ならまだしも、小林多喜二が生きた時代背景を考えると、まさに死を賭して闘う、強い志を感じる。 僕のように、間違ったことを間違ってますと言えないサラリーマン生活を続けていると、自らの仕事をこなす上での信念というものにぶつかって、その信念を曲げてまで従うべきかためらうことがある。 その殆どは「死を賭して」という大げさなものではなく、自らのプライドや倫理に基づいてためらうものが多いのだが、その時に幾ばくかの猶予のあとに、やはり従う方に傾いてしまう。 それを繰り返すたびに、逆に自分が死んでいくことを感じてしまう。 「部下を殺すに刃物はいらぬ 一言左遷と言えば良い」 という川柳があったが、移動を恐れるあまり自分を偽り続けて生きながらえることであれば、敢えて茨の道に進もうか、と思うのだが、家族がいて、失敗はできないのでなかなか前に進めない。 小林多喜二という人は、いつの間にかそういう人々に勇気や、力を与えているのかもしれない。 案外、世間で言われた非正規雇用の人々が、「蟹工船」の物語自体にシンパシイを感じて読まれたのではなく、多喜二そのものが彼らにとってのヒーローとして、あるいは自らの考える正義に基づいた行動ができないもどかしさの発散として、彼の本が読まれたのではないか。 拝金主義的な現代社会に対し、もっと大事なものがあるのではないか、と若者が感じ始めている、ひとつの兆候ではないか、と思うのである。 もしそうであれば、金がすべての世の中から、精神の豊かさを重視する、どこかの元総理がよく言う博愛の精神に富んだ、人間らしい営みを求める社会を実現し、争いのない住みよい社会になるかもしれない。 しかし、実際の社会で、博愛に満ちた、宗教じみた楽園が築けるのかといえば、40年生きてきた僕の意見は「NO」である。 楽園を維持するためにはどうしても裏打ちされる財力が必要である。 物質的な豊かさを放棄した上で、博愛に満ちた世の中を作ることは、ブータンのような特殊な気高い宗教観を持つ国でない限り、まず無理だろう。 「いいや。人生には知恵と勇気とわずかばかりのお金があればいい。豊かさなどはなくてもいいのです。」 と仰る方もいるだろうが、物資的な豊かさを放棄する度胸が、現代人にあるのだろうか。 ただ、豊かさを求めるために戦うことにためらい、守るべきもののために戦うことにさえ臆病になってしまい、自らを強くするために外に向かっていくことから逃げているだけではないか、と危惧してしまう。 小林多喜二が残した反骨精神が、ただの遠い時代の物語位に捉えられて、逆に戦わない人々の憧れの対象に成り下がっているだけであれば、「蟹工船」はただの寓話に終わってしまう。 いずれにしても、作者の生き様とオーバーラップして、こんなに内容が美化されてしまう物語も、あまり多く無いように思う。 そういう意味でも、僕はこの小説が嫌いだ。
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