小川洋子 博士の愛した数式

物語の中に数学の神秘性が見事に織り込まれ、登場する人々に透明感を与えている

(2012年06月22日更新)

  • ベストセラーになったサイモン・シン「フェルマーの最終定理」は17世紀の役人で、アマチュア数学者であるフェルマーによって証明されたとされる数学的定理を、1993年にプリンストン大学の教授アンドリュー・ワイルズによって実際に証明されるまでの話しである。 この物語は、高校時代に数学を投げ出した僕でさえも、数学の魅力に引き込まれ、なぜ人は数字の神秘に惹かれて行くのかを感じることができる本なので、オススメなのだが、そもそも数学にどんな魅力があるのかを多くの人々は知らない気がする。 たぶんそれは学校教育のせいであると言い切ってもいいとは思うのだが、同時に自分の学の無さでもあると反省する必要はあるのだが、僕と同じような人は完全数という数字について知ってもらうと、その魅力が少しはわかるのではないかと思う。 完全数とは、数自身を除く約数の和が、その数自身と等しい自然数のことである。(ウィキペディア) 例えば6と言う数字は完全数なのだが、その約数は 1、2、3、6となる。 その数自身を除いた和は 1+2+3=6 となり、完全数となる。 最初の完全数はこの6で、次が28となる。 6は「天地創造」を、28は「月の公転周期」を思い出す。 数字の組み合わせが神の手帳に記された心理のように感じるのは、自然の摂理に基づく事象に重ね合わせることが出来、そこに神秘を感じる。 正に「自然という書物は数学という言葉で書かれている」のである。 完全数は現在見つかっているもので、50個に満たない数しかなく、その数列は規則正しい。 ・完全数は奇数には存在しない。 ・末尾が6か8になる。 こういった数的な意味を考えることが、人の知的欲求をくすぐる。 何故そうなるのかを考える時に、答えはない。 ただそうだから。そう言うしかないのである。 人智を完全に超越した、まるで初めから仕込まれた壮大なパズルのような世界に、人々は神を見出す。 僕はこの完全数のくだりを、小川洋子さんの「博士の愛した数式」で読んで、数字の魅力を再認識した。 物語は記憶が80分しかもたない数学者と、母子家庭の家政婦親子の心の交流の物語なのだが、物語の中に数学の神秘性が見事に織り込まれ、登場する人々に透明感を与えている。 人間はつくづく知らないことが多くて、知らないものを知るために生きているのだと思う時がある。 真実を求めようとする物語に、またはその歴史に対し、そのことをまた強く感じることができる。 宇宙の起源を考える時、力の統一理論を考える時、広大な数字の神秘を追う時、その手の届かない大きな智の前に、人はドン・キホーテのような無意味な戦いを挑んでいるような気になるのかもしれないが、それでも生きるため挑み続ける。 そしてその智の果てにはいつも、人の手の届かない領域が存在している。 ああ、もう少し学生時代に勉強をしておけばよかった。
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