山田詠美 蝶々の纏足

優れた小説にはある程度の熱を帯びていることがある

(2012年04月18日更新)

  • 僕は2人兄弟の次男坊で、近所で遊ぶ友達もほとんどが男の子だったこともあって、女の子と遊ぶのが苦手だった。 一度誰かの妹が遊びに来て、ボールあて鬼ごっこかなにかをしていて、泣かしてしまったことがあった。 女の子に慣れていないせいか、どう接していいのか分からず、もう帰れと冷たくあしらったのを何となく覚えている。 思えばフェミニズムの欠片も無い少年時代だったと思う。 そんな少年時代だったせいか、昔から女の子が苦手で、場面場面でどう接していいか分からずに、よく失敗をした。 デートでの失敗もあるし、普通に女の子の友だちと話をしていて怒らせるなんてことも、稀にだがあった。 隣に幼馴染の高校で新体操を始める可愛い女の子でも居てくれれば、もう少し女の子との接し方のうまい子に育ったのだろうと思うのだが、僕自身も双子ではないし、野球もポジションはセカンドだったので、話にもならない。 若いうちは、自らのハートも強かったのもあって、「可愛い失敗」で処理もできるのだが、現在アラフォーの年齢になると、セクハラ的なことにもなりかねない。 未だに女性の怒りの琴線のようなものが正直よくわからないので、会社の女の子と何気ない会話をする時も相当に気をつかうので、もう面倒であまり会話しないようにしているくらいではあるのだが、それでも毎日むっつりしているわけにもいかないので、気疲れしながらも会話するようにしている。 話は変わるが、今AKB48が売れている。 それに引っ張られるように今や集団系アイドルも群雄割拠である。 一応今のトレンド(死後?)ということもあるので、何度か見たことはあるのだが、その認識はAKBなら何人か名前も言える程度位しか知らないので、偉そうなことは言えないのだが、彼女たちの人気はまさしく「隣の幼馴染の可愛い女の子」ではないかと思う。 学生時代に憧れた女の子の面影を、たくさんの女性アイドルから探し、熱狂的なファンにまで達するのは、皆がまだあどけなさが残る十代の女の子に、ニンフェットの倒錯した魅力の虜になっているわけではなく、「幼馴染の女の子」の存在を求める男の性なのかもしれない。 まあ一部でただのロリコンもいるのかもしれないのだが、僕は女性と接することが苦手な少年時代を送った男たちが、あの頃に欲しかった仲の良い女の子の姿を彼女たちアイドルに見出し、まるで自分が学生時代に戻ってその女の子と同じ時を過ごしているような、そんな錯覚に酔っているのではないか、と穿った考えを持ったりするのである。 アイドルの低年齢化は、その妄想する時間が、ただ単純に低年齢化しているか、または、性的な魅力を感じさせない年齢にまで下がっているからなのではないだろうか。 僕は、最近女の子の気持ちが分からないことに対して、一つの不安を持っている。 その不安の種は、僕に娘がいて、この娘に対して言動で傷つけないか、という心配があり、さすがに会話していて気疲れするということはないが、接する言葉は選ぶようにはしている。 それだけではなく、将来大きくなるにつれ、僕には理解できない行動や言動をするようになったら、どう対処すればいいのかわからないのである。 僕は学生時代に山田詠美さんの小説に出会い、一時期好んで読んでいた。 僕にとって彼女の小説は、ある部分では自分に置き換えて読むことができ、同時に彼女のように書き記すことができたらなあと思う、憧れの部分もあったので、読んでいてもいろんなことを考えることができて、かなり心地いい文章が多くあった。 彼女の小説はとても肉感的で、文章に独特の匂いがあって、そして男が想像し得ない女性の内面を見ることができる。 無論、全員が全員、黒人好きな女性ばかりではないので、全く理解できません、という女性も多いのだろうが、男性から見ると、女性の感情が読み取れる気がして、興味を引くものが多かった。 そんな事をつらつら考えていて、つと気になって、詠美さんの文体としては珍しかった少女を描いた物語「蝶々の纏足」を読み直した。 主人公の女の子は、その成長の過程で起こる幼馴染のえり子との物語と、16歳になって知った男性のことや、酒やタバコについてや、等身大の悩みや感情がリリカルに描かれている。 何度も言うが女の子の成長の過程を知らない僕としては、娘がこの物語のような屈折した物の見方、考え方をした時に、僕は気づいてそれを正すことができるのだろうか、という思いがある。 たぶんそれは、この物語の女の子に対し、僕自身が理解できる部分も多くあるからだろうと思う。 その理解は、自分が学生時代に爛れた生活をしていた経験と、間違いの多い考え方を持っていた、薄汚かった自分があるからだと思う。 優れた小説にはある程度の熱を帯びていることがある。 その熱は、人によって、タイミングによって、時代によって異なる。 時間を越えて、その熱を保ち続けるのは難しいのだが、自分の娘が大きくなって、この小説にある種の熱を感じることができればよいとは思う。 ここに描かれた物語は、子供が持つ屈折した反抗心と、若者らしい薄汚れた考えを見ることができる。 そしてそれは全ての人たちの物語にもなりえる。
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