高野亘 コンビニエンスロゴス

高い教養と知識によって書かれた物語は、馬鹿げた話でさえも読ませる力を持つ。

(2012年02月06日更新)

  • 僕は胡散臭いものに弱い。
    テレビ欄なんかで、未確認飛行物体とか超常現象とか秘密結社などの言葉を見ると、内容はなんであれついチャンネルをそこに合わせてしまう。 大抵はなんじゃそりゃという内容がほとんどなのだが、面白いのはそう言った未知なるものに対して、真っ向から信頼し、それを正当化する人が何とも楽しい。 僕なんかはUFOとか、ネッシーとかは居て欲しいなあ、と思うタイプなのだが、それが本当に居るんだと真剣に言われてしまうと、眉をつばを付けて掛かりたくなる。 居て欲しいなあと、居るの間にはどうしてもそれを立証するための膨大な資料集めと、地道な検証作業が必要になるので、簡単に居るんだと言われてなんだかよくわからない資料を出されても、信用しないのが普通の人で、逆に根拠もなく両手を上げて信用していますという人は、逆に純粋で凄いなあと思う。 昔カルト教団が問題になった時に、超常現象に惹かれて入信する人が多いと聞いたのだが、なんでこんなもんを信じるんだと、テレビの前では思ったものである。 この疑問に対しては、やはりその場のライブ感と実際に起きていることのギャップにあるのではないだろうか。 僕も一度だけUFOかな?と思われる飛行物体を見たことがあって、見たのは真夜中のグアムのプールサイドで、会社の同僚と話をしていたら、どうも海側の空に光が見える。 その光はしばらく動いてこちらに近づいているように見えたのだが、急に空に止まったままになる。 同僚と目をあわせて、なんだろうと見ていると、止まった光が急にこちらに向かって近づいてきたかと思うと、あっという間に消えてしまった。 当然のように、おおUFOだなんて二人で興奮していたのだが、翌日明るくなってその方向を見てみると、海の向こうに山があって、自分たちが最初に訪れた空港が、少し高台にあるのが見える。 そこでああ何だ、あの光は空港にいた飛行機か何かだったのか、となったのだが、光を見た日は興奮して、あれは完全にUFOだった。何故ならオレンジ色の光を発していたからなどと、UFO説を主張していた。 正しくは未確認なのでUFOなのだろうが、ライブで見ると普通に考えれば飛行機の光だろうと思えるものでさえ、それこそ未確認飛行物体にでっち上げてしまう。 自分が見たものや遭遇した出来事は特別なものであるという心理が働くのか、一番考えられる選択肢を消して、そう思い込んでしまうということは、大なり小なり誰しもあることではないだろうか? 秘密結社については昨今よく名前を聞くのがフリーメーソンである。 フリーメーソンは、古代のローマで生まれた石工職人の集団が、キリスト教と結びつき、絶大な権力を持ち、現代でもアメリカの大統領を何人も排出した組織として紹介されている。 アメリカを押さえているわけだから、当然のように世界を牛耳っている集団と言うことにもなるのだろうが、勿論日本にも多大なる影響を与えているようで、明治維新はフリーメーソン傘下のイギリス人グラバーの手助けで成し得たそうだ。長崎のグラバー邸のあのグラバーである。 そんなすごい力を持つ集団だけに、今の政治や経済の中にもその力は及んでいて、日本の紙幣にフリーメーソンを思わせる暗号があったり、東京の一等地にフリーメーソンのロッジと呼ばれる施設があったりもする。 とはいえ、まだ日本が国としての呈をなしていない時代からの秘密結社が、何故現在の資本主義の形態を取る日本の造幣局にまで口出しが出来るのかを考えれば、やはり理屈が合わない所が多々出てくる。 秘密結社に限らず、正体のわからない何かがある権威を纏い、権力に裏打ちされた出来事や事実と思われている事象との関連性を言葉巧みに立証した場合に、冷静になって考えるとそんなアホなな出鱈目を信じてしまうという典型なのかもしれない。 確かに世の中を思い通りに動かすエリート達という構図は、いかにもアングロサクソン的だし、なんだか魅力を感じるストーリーではある。 いずれにしても何故それだけすごい組織が、秘密なのかはよくわからないところではあるのだが。 UFOにせよ秘密結社にせよ大切なのは、その存在と共にある大掛かりで壮大なストーリーで、そのストーリーの魅力こそが、秘密結社が信じられる最大の要因なのかもしれない。 因みにある物語にはこんな秘密結社が出てくる。 亀の背中に哲学が現れて、その言葉は人類の大発見で、過去にも多くの哲人がその亀を使って、大哲学者になっている。 そんな亀をめぐって、秘密結社が暗躍し、亀を持つものを管理する。 なにしろ哲学的な大発見を、亀が背中で教えてくれるのだから、その秘密結社も当然世界規模の力を持っている。 亀と共に秘密結社は歩んできたのである。 物語の名前は「コンビニエンスロゴス」と言い、亀と哲学を巡る荒唐無稽で、漫画的な物語だ。 しかし物語の中に見え隠れする、深い哲学への造詣が感じられ、亀の背中に浮かぶという一見コミカルな話も、実際の哲学の発見は、本当に亀の背中に映し出されるがごとくに思いつくものなのではないか、と勝手に深読みしてしまう。 荒唐無稽でにわかに信じがたいものでも、物語の壮大さや語り部の語る内容の信ぴょう性で、人はあらゆることを信じてしまう。 小説の世界でも、その形は変わらずに、高い教養と知識によって書かれた物語は、馬鹿げた話でさえも読ませる力を持つ。 こういう優れた語り部がいたので、秘密結社やUFOなどの頂上的なものを信じてしまうのかもしれない。 いずれにしても小説としては成功ではある。
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