デビル

監督 ジョン・エリック・ドゥードル 原案:M・ナイト・シャマラン
出演 クリス・メッシーナ
制作 2011年アメリカ

もったいぶった言葉と、悪魔を題材にした神秘性だけが頭に残る

(2012年01月01日更新)

  • 世の中には神秘的なものを信じる人がいる。
    例えば超能力や、パワーストーンなどのような何だかわからないが凄い能力を持つと思われるものや、悪魔や妖精のように、昔からいるんじゃないかな、と思われていたものを真剣に信じている人は、意外と多い。 これだけ科学が進歩しても、ちょっとマニアックな雑誌の巻末の広告などで、「このブレスレットを付けた瞬間から、全てはあなたの思うまま」だの、「この指輪のおかげで、毎日女性に囲まれて暮らしています。以前はモテなかったBさんの驚き実体験」だのと、眉につばを付けすぎて、眉がカピカピになってしまうような広告は未だに廃れていない。 誰かがこの広告を見て、購入をするから廃れないのであろうが、これだけ科学が進歩し、識字率が上がっても、およそ科学的ではない不思議なものを信じてしまうのは、人間の性なのかもしれない。 「そんなもの信じるわけないじゃん」と思っているあなたも、本当に科学的なのか?と思われるものを信じてはいないだろうか? 最近ネットで見かける、1920年位の無声映像で、画面に映し出されるヨーロッパだかの街角で、女性が携帯電話のようなものを取り出して耳に当てているものがある。 この映像で、タイムトラベラーがたまたま写り込んだだの、当時に既に政府の一部高官では、携帯電話は使われていただのと話題になったようだが、実際は当時の想像によるフィクション映像で実際に携帯があったわけではない。 しかし本当の驚きは、当時から既に移動電話の考えがあったという想像力のすごさにある。 また、およそ科学的ではないものは、たいていの場合は、科学で武装することが多い。 科学という言葉がもつ権威にあやかろうということなのだろう。 その顕著な例は占いと賭け事である。 「読めば必ず高額当選。○○大学院△△教授が考案した理論でロト6を攻略する!」 「人類2000年に及ぶ統計に裏付けされた神秘の占い」 このような見出しは暗に、科学の力を匂わせている。 しかし、科学とは定義に基づいた予測に対し、実験によって明らかにしていく学問のため、ひとつの学説があってもそれを立証しなければなんの意味もたない。 つまり、ひとつの理論がある場合、どのような理論に基づき、どのような形で検証し、それをどのように公表し、どう評価されたのかで理論として正しいかどうかのジャッジをするのであって、2000年に及ぶ統計も、どのような集団での統計なのか、または出身地や生活区域はどこなのか、集団の比較参照は取られたのか、など、その取り方でいかようにも変化をするので、2000年もの長期の調査は、それ時点で科学的とはいえない。 しかしアメリカでは未だに天動説を信じている集団がいるようで、僕たちも、漠然とではあるが運やツキは信じるし、オバケの存在もなんとなく信じてしまう自分がいる。 結局は人は理性ではなく感性で動くものなのかもしれない。 映画「デビル」はナイト・シャマランらしい、物語のキーを隠しながら話が進む映画だ。 いつものように最後にどんでん返しが待っているのだが、奇妙な偶然で乗り合わせたエレベーターの面々は、徐々に悪魔の存在を信じるようにしむけられ、悪魔を見ることになる。 本作は、全て警備員から語られる悪魔像をもとに物語がすすめられ、大きな恐怖シーンや派手なBGMは無い。 つまり新しいアイデアも、見入るほどの見せ場も特にはない。 只、映画の広告で踊る、「新たな恐怖」と「謎の深淵」という、もったいぶった言葉通り、悪魔を題材にした鈍い恐怖だけが残る。 しかし、世の中には言葉の語感のみに惹かれ、科学とはおよそ遠い神秘性に惹かれる人はたくさんいる。 人間の全ては科学的でも論理的でもない。 こういう論理の外にある物語、ただ漠然とした静かな恐怖を観る物語も、ひとつの映画の形なのかもしれない。
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