小さいおうち

監督 山田洋次
出演 松たか子 黒木華
制作 2013年日本

本当に素晴らしいものというのは、色んな要素を含んでいて、器を選ばない

(2014年10月26日更新)

  • テレビで見て大変驚いたのだが、インターネット動画で、ただひたすらゲームをやって、そのゲームの実況や批評をするだけというサイトでご飯を食べている人がいるらしい。 有料コンテンツでその様子を配信しているそうだが、500人位のユーザーが登録をしているそうで、そんなもの見て何が楽しいいのだろうと思ったのだが、そういう人からすれば、文庫本を熱心に読んでいる人を見て、何が面白いんだろうと思うのかもしれないので、人それぞれだということなのだろう。 それにしてもネット社会というのは奇想キテレツで、本当に面白い。 一方でテレビというのは収まりすぎていて、物足りないなあと思ったりする。 テレビは娯楽から生活の一部になってしまっているため、当然のことながら、不特定多数の平均を見せていく必要があるので、派手にやると叩かれ、トリッキーな内容だと観る側がついていけない。 しかもスポンサーや各種団体からのクレームなど、様々な社会的な配慮も必要なので、どうしても冒険がしにくくなる。 そんなことをファンだった斉藤由貴さんの若かりし姿を、youtubeで見ながら思っていた。 もっとネットのように過去のコンテンツとかも利用して、有料でもいいので面白いことをしていけばいいのに、なんてことは思うのだが、多分規模が大きすぎてなかなか小回りが効きにくいのだろう。 とは言え、過去の映像ばかりのテレビはつまらないし、一部の人だけが楽しめるものをテレビがやってもしょうがないわけであって、やっぱりネットとテレビは別物と考えるのが良いのかもしれない。 そんなこんなでテレビとインターネットを比べると、どうしてもテレビに勝ち目は無い様に思うわけである。 テレビは広域情報を得意とする一方で、ネットは地域性を得意としている。 ここでいう地域性とは、何も地方のケーブル放送のことを指しているのではなく、放送の帯域として狭い地域の話を、全世界に伝えることができるという意味において、ネットは得意であるという意味である。 また、多くのコンテンツを、自由に、そしてユーザーの思いのままに出すことができるという点でも、テレビとは大きく異なってくる。 最近子ども向け番組などで見かけるデータ送信コンテンツなんかを見ててもよく思うのだが、一言で言うとちゃちい。 もっとすごいことができても良さそうなのだが、テレビが巨大な広告マーケットから抜け出すことができないせいか、テレビを超えるコンテンツを提供できないままでいる。 もっと小さなグループも楽しめるコンテンツを出していけば良いと思うのだが、それをやるにはテレビ局の収益の基本であるコマーシャルスポンサーが付きにくいのだろう。 ネットはその点、低コストでの提供を可能にし、且つ素人の参入もあってますます活性化している。 当然の結果なのだが、冒頭のゲームの話は、流石に予想を超えたコンテンツだなあと思ったわけである。 一方でラジオというものがある。 ご存知のようにラジオ放送は大正末期からある、考古学レベルのメディアなのだが、このコンテンツは今も変わらずに残っている。 夜はテレビではなくラジオを聴いている、という人も少なくないだろう。 僕は車くらいでしか聞くことはないのだが、営業時代は好きなDJの放送はどこか楽しみにしていたものである。 ラジオが今も尚いぶし銀的に残っているのは、何も昔からのリスナーが支えているという、LPレコードのような話ではなく、おそらくテレビとそもそもメディアの質が違うというところにあるのだろう。 ラジオから流れる情報は概ね地域性も強く、しかもテレビと違い何かをしながら聴くというものであり、多くの人は情報を得たり、大きな刺激を期待してはいない。 ラジオは過去のコンテンツを必要とせず、ほとんどがタイムリーな、その場限りの情報を配信している。 それはどこかネットの雑談掲示板でもあり、寄席で聴く落語のようであり、そういった、言い方が悪いが緩いメディアとして独自の成長を続けている。 この3者のメディアの傾向は、映画の世界でも感じることがある。 どこかでも書いたが、今やコンピュータグラフィック全盛の映画界に於いて、緑色の背景をバックに架空の世界での演出も増え、演者は想像だけで演じるせいか、どこか漫画のようなわかりやすい表現の映画が増えてきている気がする。 一方で、自然を相手に、最高のロケーションを収めるために何日も泊りがけで撮影するという、泥臭い映画もある。 またはCGなどは使わず生身の演技で行うが、音響や、映像の技術によって、より美しい世界観で映画を作成するという手法もある。 技術の進化を利用しながら、テレビのように不特定多数の及第点を取る映画を作るのか。 映像技術を高めたり、音響を凝ってみたりと、ネットの世界のようにニッチなファンに向け素晴らしい映画を作っていくのか。 はたまたただ人の営みを淡々と描く、ラジオのように生活の中に消えていく映画を作っていくのか。 どのような方法にしても、作り手の熱を感じることができれば、その映画は十分に楽しめるものだろう、とは思う。 今回も前置きが大変長くなってしまったが、今回は「小さいおうち」である。 最近増えている戦争ものだが、毛色が違うのは、この映画は戦争を背景にした恋愛ものである、ということである。 物語は倍賞千恵子扮するおばあちゃんの昔語りの形式で綴る、彼女が仕えたモダンな若奥様の恋愛映画である。 映画でのワンシーンがある。 女中として住み込むタキが若奥様が不倫相手の男性の家に向かうところで、悟して行かせまいとする。 若奥様はその意見もよくわかるのだが、どうしても自分の気持ちに嘘はつけない。 しかし、ここで彼のもとに向かってしまっては、家庭を壊してしまう。 その緊迫した雰囲気や、一方的に話すタキの悲痛なまでの訴えが続く長台詞のこのシーンは、女優二人のやり取りだけで行われる。 このワンシーンは、テレビドラマで演じられるありていのシーンにも感じられ、同時に全く逆のネット時代の粗雑だが目を引く映像のようにも感じられる。 しかし、最後にはラジオのような昔からあって、しかし、どこか心に残るフレーズを残されたような、そんな印象を持った。 無論映画の題材が古い時代のものであることや、山田洋次監督という熟練した技術を持っているということもあるかもしれないが、それを踏まえたうえでも、これほどまでに演技に見入る映画は最近ではとんとなかったので、鑑賞後何だか得をした気分になった。 いつも思うのだが、本当に素晴らしいものというのは、色んな要素を含んでいて、器を選ばないのかもしれない。
■広告

にほんブログ村 映画ブログ 映画日記へ

DMMレンタルLinkボタン あらすじLink MovieWalker
 VivaMovie:た行へ  関連作品:ダウンタウンヒーローズ