ダウンタウンヒーローズ

監督 山田洋次 原作:早坂暁
出演 薬師丸ひろ子 中村橋之助
制作 1988年日本

どの時代に生きていても、結局は人の本質は変わらない

(2012年02月24日更新)

  • 奈良の若草山とか、京都の金閣寺などメジャーな観光地を訪れると、良い確率で中学生の修学旅行生と遭遇する。 その都度中学生ってこんなに小さかったっけ、と思ったりするのだが、個人的にいつも気になるのは、旅行生が着ている学生服である。 最近の中学生は、いわゆる変形というのを着ないようで、みんな判を押したように、少し色褪せた標準の学生服を着ている。 少しヤンキーっぽい子でも、あまり目立った服装は着ていないようだ。 僕が中学生の時は、丁度ビーバップハイスクールという不良漫画の全盛期で、主人公が着ている短ラン(学生服の上を通常より詰めて短くしたもの)や長ラン(短ランと逆に長くしたもの)をみんながこぞって買いに行き、標準の学生服を着ている奴はそれこそ真面目な子くらいで、ひどいのになると、長ランの裏地に刺繍が入っていたりする奴もいた。 ズボンの裾も大体がシングルで、ダブルをはいたりすると、折り曲げた中にゴミとかを入れるなどのいじめにあう。 逆に気合の入った奴だとヒザくらいまでの長ランに、ニッカポッカくらい腰周りが広がるボンタンをはいて、しきりにつばを吐きながらメンチを切ってくる。 さすがにそこまでイカれた吾人は最近はいないだろうが、それにしてもヤンキーは絶滅したのだろうか、ほとんど見かけることがない。 そもそも学生服は西洋の軍人が着ていた詰襟を、明治期に学校の制服として採用したのが始まりだそうだ。 学校以外でも、明治時代の絵や風景なんかを見ると、警察官や駅員など、公共で働く人にも、今の学ランに似た、詰襟を着ているのをよく見るので、当時は詰襟が流行っていたのだろう。 たぶん詰襟が制服に選ばれたのは、見た目に格好の良いものが多かったからではないかと思う。 特に軍隊では、当然制服にも機能性確かなものが好まれるのだが、見た目で格好よくないと誰も兵隊になりたいと思わないので、必然的にデザインが機能性と同じくらいに高いものが求められる。 そもそも制服は、見た目でその集合体の一員であることを認知させるために着るものなので、同じ着るものなら格好良くしようと思うのは当然の考えである。 やがてその制服という画一的なユニフォームを着るのが嫌だなあと考える人が出てくる。 当たり前だが警察官や軍人からこのような考えが生まれても、実際に行動にする人はいないのだろうが、学生は自由なので、服を着崩す輩が現れる。 バンカラの登場である。 最初は帽子のつばを折り曲げる程度だったのだろうが、やがて制服そのものの形を変えるようになり、それが何だかマッチョな思想と結びついて、高下駄にマントを着て、制服そのものは敢えてみすぼらしくして、男らしさを演出し始める。 この着崩しの延長線上に、昭和のヤンキーファッション、長ラン、ボンタンがあり、脈々と流れはつながっていく。 途中からは全部推測で書いているが、皆と同じものを着たくない、というファッションの基本的な考えから、お洒落としての制服文化が生まれたのだとは思う。 そう考えると、今の中学生が標準を着ているのは、「皆と同じでありたい」という意思表示なのでは、と思うのは考えすぎだろうか。 「皆と同じ」でありながら「世界に一つだけの花」と思う心理が、何だかチラチラ見えて違和感を感じてしまう。 今の自分たちと違う服を着た、昔の人々の物語を見るときに、僕ははたとああ、自分と変わらない感性があるものだと感じ入ることがある。 映画「ダウンタウンヒーローズ」のバンカラを見たボンタン世代の僕は、彼らの物語の中に、今の僕の姿を投影させることができたし、どの時代に生きていても、結局は人の本質は変わらないのだと思った。 昔の映像を見ることは、今の僕達が失いかけているものを再認識することや、歴史として蓄積していくことだけではなく、昔も今も本質的に変わりはないのだと感じることにも繋がる。 標準世代の彼らにも、ボンタン世代の映画やバンカラ世代の映像を見て欲しいと思う。
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