道頓堀川

監督 深作欣二
出演 松坂慶子 真田広之
制作 1982年日本

追悼:大滝秀治さん

(2012年10月06日更新)

  • 少し甲高くしゃがれた声で、時には高飛車に叱りつけ、時には飄々と諭す。 田舎のどこにでもいる名士や、医者や、弁護士や、そんな諸々のハイソな人間や市井の役を当たり前のように演じてきた。 大滝秀治さんの出演した映画の一覧を改めて見てみると、いかに役者として愛されていたのかがよく分かる。 印象に強いのは、横溝正史の金田一耕助シリーズの村の医者役などで、少ししか登場しないのだが、その独特のキャラクターで金田一を翻弄する。 このシリーズは小林昭二さんの警官役や、坂口良子さんの町娘役など、物語内で微妙な役回りを変えて同じ役者さんが登場するケースが多く、一種の予定調和的な楽しみがあったのだが、中でも大滝さんは登場するだけで「キター」と思ったりしたものだ。 それだけインパクトがあり、同時に物語に自然に紛れ込む、言わば景色の良さみたいなものがあった。 このエッセイサイト内のどこかにも書いたが、何気ない風景は、その時は何も感じないのだが、数十年経って思い出すことがある。 特別な景色ではない当たり前のモノが、自分自身の心のどこかに貼り付いて、いつかその景色から自分が遠くに離れた時に、その染み込んだ風景に思いを馳せることがある。 時に懐かしく感じ、時に愛おしく感じる。 大滝さんのスクリーンでの姿は、決して特別な役者のものではなかったかもしれない。 しかし、その演技は心のどこかにさりげなく貼り付いていて、その映画全体を彩っている。 大滝秀治さんについて何か書き残そうと思い、作品群を見ていると、一つの映画に当たった。 「道頓堀川」という、僕の好きな作家である宮本輝さんの、「川三部作」と呼ばれる作品の中の一篇を原作とし、若かりし佐藤浩市さんや、真田広之さんの若さが爆発している映画である。 因みにこの「川3部作」は全て映画化され、全て学生時代に観た。 宮本さんの原作の中では、「道頓堀川」は「優駿」と同様に、比較的商業ベースに乗った映画となり、映画自体の評価もそれなりにあったのではないかとは思う。 この映画での大滝さんはハスラー役で、少ししか登場はしないのだが、テレビドラマで見せたシリアスな刑事役のような鋭い眼光で、球さばきを見せたのをうっすら覚えている。 僕自身は、道頓堀川は楽しく観た記憶はあるのだが、いかんせん小説に思い入れがあったため、イメージには合っていないと感じたのを覚えている。 それは、配役や脚本の云々というような、観る側の勝手な寝言ではなく、この物語は大阪の町の雰囲気と、ハスラーという、どちらかというと退廃的な人々の世界を描いたものであるため、映像にした場合に物語が持つ匂いというか、嗅覚的な部分で、小説に勝るリアリティーが生まれにくいのではないか、と生意気にも思うわけなのである。 わかりやすく言うと、この映画は日本屈指のステキな俳優陣が演じているのだが、本当のこういった人たちは癖があって、こんなにシュッとしていないというか、簡単に言うと格好が良すぎるのである。 子どもの頃、僕はよくオヤジに連れられて、阪急宝塚線の三国駅の近くにあった、あそこのボウリング場や、新大阪にあった今は無き玉突き場に行って、ボーリングに興じるおっさんをよく見ていた。 上手い人はとても上手で、オヤジが興じているのを横目に、いろんな人が球を付いている姿をよく見ていた。 僕が見た賭けビリヤードをやる大人は、もっと曇った表情で、歯はヤニとカフェインで黄色く、ただ球を打つときだけ眼光が鋭くなるような男たちだった。 寡黙でもなく飄々として、正に大滝さんのような感じの男が多かったように思った。 僕はこの映画のタイトルを観ながら、大滝さんの玉突き場面を思い出した。 それは物語にあった、景色の良い姿だった。 映画の歴史の中で、数多のスターが排出され、輝かしい光の中で多くの映像を残し、時代を刻み、そして去っていった。 その一方で、日常の中の一コマの景色や風景のように、決して特別ではないが、忘れがたい記憶として、大切にいつまでも心のどこかに残っている映像がある。 大滝さんの役者としての大業は、そんな何でもない一コマを、多くの人に残していったことだろう。 2012年10月2日に大滝秀治さんは、87歳で多くの作品を残しこの世を去りました。 ご冥福をお祈りいたします。
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