トゥルー・ロマンス
監督 トニー・スコット 脚本:クエンティン・タランティーノ
出演 クリスチャン・スレーター パトリシア・アークエット
制作 1993年アメリカ
ビートを刻む音楽のように小気味よい
(2012年08月30日更新)
-
世の中には名言、名台詞がある。
映画や物語、またはその人を知らなくても、物語の中の台詞や、その人の残した言葉なんかは知っていたりすることがある。 例えば本エッセイは映画のことが主題なので、映画の名台詞を考えてみると、少々古い映画だが、ハンフリー・ボガード主演の「カサブランカ」が名台詞の宝庫として思い出される。 まあ昔の映画なので、また映画の内容もハードボイルド(死語)なので、「君の瞳に乾杯」だの、「俺の涙は雨が洗い流してくれた」だの、今聞くと少しだけだが鼻につくものが多い。 最も有名な台詞では、物語の終盤のシーンでイングリッド・バーグマンとのやり取りのセリフがある。 バーグマン:「夕べはどこにいたの?」 ボギー:(ボガードの愛称):「そんな昔のことは覚えていないさ」 バーグマン:「今夜、会ってくれる?」 ボギー:「そんな先のことはわからない」 もうヒューヒューものである。 当のセリフの本人、ハンフリーボガードは、タフガイとして活躍した銀幕のスターだが、画像を見る限り低身長で、相手役の大女優バーグマンが175センチ超あったため、厚底のブーツをはいて本シーンを撮ったそうだ。 僕も何本かボギーの映画を観たが、公称177センチは怪しい。 贔屓目に見ても170センチ前半と思われる。 それでもボギーは素敵である。 必ずしも、格好いいセリフを言うのが、おっとこ前でないといけないというわけではないが、やはりこういうセリフは、ボギーのように、それなりの見た目の人が言う方が良いように思う。 名言の多くは物語の中にあり、そのほとんどが作家が拵えた言葉である。 その分その名台詞は、幾度も推敲が重ねられて、精錬されたものが多いように思うのだが、一方で、自らの生を全うせんとした人の心底から吐き出した言葉なんかは、物語で語られる名言とは違う、美しさや迫力のようなものを感じることがある。 特に遺言や弔辞など、その人の全力たる言葉や、苦しみや悲しみの果てに拾い集めた言葉には、荒いところはあれど、言葉の力に圧倒的される事がある。 これも少し古いが、マラソンランナーの円谷幸吉さんの、「父上様母上様 三日とろろ美味しうございました」で書き始める遺書は、川端康成が褒めたような文学的な美しさや、どこかスポーツマンらしい清涼感さえ感じる、韻を踏んだ言葉の旋律の美しさを、精一杯生き抜いた人の末期の言葉として読むと、なんだか胸が詰まる。 最近だと、「天才バカボン」などの名作を世に出した、昭和の第作家赤塚不二夫先生の告別式で、何も書かれていない手紙を前に一点に弔辞を読んだ姿が記憶に新しい。 「私もあなたの数多くの作品の1つです。合掌。」で閉じる弔辞は、ほぼ何も見ずに(見ているふりをして)ソラで仰られたようで、特に故人を慕い、同時に自分をこの国のコメディアンとして大きくしてくれた大恩人に送る最高の言葉に続く、タモリさんらしい締めくくりの言葉、「合唱」が、よりグっとくる。 色々な思いを詰め込んだ言葉の後にフイと引き離す、タモリさんの人となりがよく出ていて、言葉の力を改めて思い知らされる。 知らない人はググッてみてください。 話は変わるが、映画「トップガン」で世にトム・クルーズという大スターを送り込んだ監督が、橋から身を投げて自殺してしまった。 2012年8月19日のことである。 メジャー監督らしく、作った映画の一覧を見ても観た映画も多く、世界中にファンがいたことは想像に難くない。 本当に残念である。 僕はこの訃報を嫁に聞いた時に、直ぐに彼の作った映画「トゥルー・ロマンス」を思い出した。 僕が学生だった頃に封切られたこの映画を、当時付き合っていた女の子と観た。 記憶が正しければ、当時「レザボア・ドッグス」というマフィア映画で一躍メジャーに名を上げた、オタク青年のクエンティン・タランティーノが脚本ということで話題になった映画で、ビデオ(1990年代はDVDではなくビデオが主流)が出るとすぐに、バイト先のビデオ屋で借りて観た。 映画の内容は当時としてはテンポが速い運びで、物語は千葉真一の映画を封切る映画館で知り合った娼婦と、一生レベルの恋に落ちたコミック・ショップに務める若者が、彼女のポン引きを殺し、大量のコカインと共にマフィアからの逃避行を行うというものだった。 とにかく出てくる奴はたいてい悪くて、因みに主人公もいろんな意味で結構ワルい。 享楽的とも言えるストーリーの中に、今では知れた著名な俳優陣が脇を固める。 元祖ちょい(ちょい?)ワルオヤジデニス・ホッパーのオヤジ役 本当に人を殺しているとしか思えない顔のクリストファー・ウォーケン 昔本当にやっていただろう、ポン引き&売人のゲイリー・オールドマン そんな使い方でいいのか、瞬殺されるサミュエル・L・ジャクソン やっぱり格好いい、完全ちょい役ブラッド・ピット そしてジム・モリソンだけじゃないぞ、ヴァル・キルマーの扮するプレスリー この映画は、物語が急展開するローラーコースタームービーの新種であり、映画に散りばめられたセリフの一つ一つのキレ具合や、キャラクターの奇抜さは、映画そのものよりかは脚本の評価が高い。 先に述べた「カサブランカ」のように、後世に残る名言のようなものは少ないが、しかしその台詞の一語一語は、配役のキャラクターを表す上でとてもインパクトがあり、ビートを刻む音楽のように小気味よい。 確かに脚本が相当に面白いのは、素人目でもわかった。 しかし、立ち返ってこの映画を考えるとき、面白い脚本がそのまま優れた映画なのであれば、映画は小説や脚本に勝てないことになるし、そもそものこの映画自体が持つテンポの良さや、配役のキレ具合を、脚本が良いということだけで最高のものにすることは出来るのだろうか? しかもタランティーノは、脚本のラストを書き換えたトニーに対し腹を立て、クレジットから自分の名前を外してくれと言ったというエピソードもある。 いくら流行作家とは言え、重要なラストシーンを周りと共に納得いく仕上がりにしていくこともできないタランティーノに、これだけの名うての俳優を使うことが果たして出来たのか?と考えると、後の作品を観る限り可能だったかもしれないが、この映画ほど配役の個性を吹き出すことは難しかったように思う。 そもそも映画は、脚本だけで作るものではおそらく無い。 映画の評価は、脚本の世界観をどこまで映像に投影させるかで、名言を生む要素と同じように、幾度の推敲に加え、言葉の力を生む背景をしっかりこしらえてやる必要がある。 そういう意味では、この映画はやはり、天才脚本家ではなく、稀有な監督であるトニー・スコットが作った、最高のエンターテイメントだと言える。 トニーの監督としての偉業は、俳優の個性を引き出す力に有り、また引き出すに足る俳優を見つける力にあるのではないだろうか? その安定した映画人としての実力と、また一人安定的に面白い映画を作ることができる監督を失ったことに、悲しみを覚えた。 ご冥福をお祈りします。
■広告