時計じかけのオレンジ

監督 スタンリー・キューブリック
出演 マルコム・マクダウェル
制作 1971年アメリカ

暴力ふるって、セックスして、更生させようとする映画

(2012年01月01日更新)

  • テレビで若い時の北斗晶が、リングで戦っている映像を見た。 デンジャラスクイーンの時代である。 今や、にこやかに笑う口の悪いおばさん位の認識しか無い人もいるとは思うが、昔は本当に強かった。 少なくとも旦那の健介よりは強かった。プロレス全盛期の時代の話である。 今はプロレスに人気は無い。正確に言うと野球と一緒で会場では変わらぬ人気なのかもしれない。 しかし、メディアではほとんど見かけることはない。なぜテレビでやらないのかは、答えは単純明快に答えると野蛮だからである。 野蛮なものは不特定多数の「良い子」に悪影響なので、テレビではやれない。 オネェ系と称した、個性的で普通とは違う人たちは、夜の家族が出る時間帯に出ても良いが、鬼のようなメイクをした、竹刀を持った北斗晶は出てはいけない。 だって、野蛮だもん。 個人的にだが、女子プロレスラーの方が、男子よりも野蛮な気がする。 どこかで女性が相手を叩き潰している姿や、血まみれに戦う姿に、嫌悪感に近い衝撃を感じるからかもしれない。 暴力に対する嫌悪感がそもそもあって、本来は暴力とは遠いところにあるはずの、「弱い存在」の女性がリングサイドで血まみれで殴り合いなどするものだから、恐怖感を感じてしまうのかもしれない。 わかりやすく言うと、ウィノナ・ライダーが万引きで捕まった記事を読んだ時の衝撃と同じものだ。(わかりにくい?) プロレスはわかりやすく言うと、暴力をショー化したものであることは誰も異論はないと思う。 ショーである以上は、野蛮もショーの一部で、その中には 技の華麗さや、衣装のきらびやかさ、そして美しいまでの勝利までの執念も含まれる。 その全てが綯交ぜになって、形作られる真剣なショーは、野蛮という一言では語れないことを、たぶん見ていた子供たちは分かっていたんではないだろうか? 少なくとも子供時代に見ていたプロレスの映像に、そのような野蛮さだけを見てきてはいなかった。 プロレスのせいなのか、観る側のせいなのか、はたまたメディア側の人間の配慮なのかわからないが、プロレスは今やどこのキー局でも放送はしていない。 前置きが長くなってしまったが、「時計じかけのオレンジ」の良さはどこだと思う?と言う質問は、「プロレス」の良さってどこ?という質問と似ている気がする。 監督のキューブリックは、一体この近未来(っぽい)映画にどんなメッセージを伝えたかったんだろう?ということを考えることは、スターウォーズのメッセージ性を考えるくらいどうでも良いことです。 同じ質問をされたら僕ならこう答えます。「暴力をふるって、セックスして、更生させられる映画」と。 当然相手は眉根を寄せて「なんじゃそりゃ」という顔をするので、続けてこう答えたい。 「でも映画としては面白いよ」 プロレスも、単純に面白い試合が沢山あれば、また昔のようにテレビでやる日も来るような気がする。
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