スラムドッグ$ミリオネア

監督 ダニー・ボイル
出演 デーヴ・パテル アニル・カプール
制作 2008年イギリス

この映画はきっとヒーロー映画なのかもしれない

(2012年03月25日更新)

  • 一攫千金。 世の中のほとんどの人が、この言葉に憧れを抱き、夢見ているのではないだろうか? 宝くじの高額当選を3回もした男性の話や、芸能人が競馬での大勝ちした話などは良く耳にするし、友達の間でも「カジノに行って100万取った話し」や「スロットの儲けだけで家を勝ったフリーター」の話などは、有名人でなくても人づてに聞くことはある。 僕も高額当選で宝くじで10万、競馬でも7万ほど勝ったことがある。 しかし、世の中は良く出来ているもので、競馬で勝ったときは、その数日後に愛車のバイクを盗まれたし、宝くじに至っては12万をスキー場に落とした。 本当に世の中はよく出来ているものである。 そもそも宝くじで1等を当選する確率は、宝くじを買った帰りに事故で死ぬ可能性よりも低い。 競馬も胴元であるJRAが儲かるようにできている。 日本の競馬は25パーセントが寺銭として国やJRAに取られるそうで、要は1万円で7500円の馬券を買っていると思えば良いそうだ。 金利にして考えると、ミナミの帝王バリの搾取率である。 こんなギャンブルで一攫千金を夢見ること自体、ナンセンスな気がする。 僕は残念ながら、宝くじも競馬も嗜むのだが、基本的にはこの確率や搾取の制度を信じていないからではなく、一攫千金を夢見ながらも、少しのハラハラ感を得るために嗜んでいる部分がある。 そもそも当たればいいなあ程度のスタンスでやっているので、当然のようにかける金額も小さく、高額な金額の獲得には到底結びつかないのであるが、やはり宝くじのように、本人の力が何も関係の無い、運の力を信じることはある。 その運の力で、人は大きくも小さくもなることがよくあると思うので、その運に賭けてみたいなあ、ということはよく考える。 例えば僕は日本人に生まれたが、もしも魂なるものがあって、その魂の行き先を神様的な方が決めるとしよう。 生きとし生けるものの中から、たまたま人間になることができて、その上、貧困の少ない日本に生まれたことがまず奇跡と言える。 僕の前に順番で並んでいた魂は、ひょっとしたらサカサクラゲになったかもしれないし、僕の後で待っていた魂は、生まれてすぐにHIVにかかっているのかもしれない。 僕がこの場所で今、誰が見るともないエッセイをしたためているのも、本当に低い確率の中で運良くこうしているだけなのかもしれない。 そう考えると、競馬や宝くじもひょっとしたら、と思わなくもないのである。 「スラムドッグ$ミリオネア」というタイトルを聞いたときは、昔あったロバート・レッドフォードの「クイズショー」のような、クイズ番組の内幕ものみたいな映画だと思ったのだが、この映画の根幹を占める概念に、運というものがある。 学もないスラムに生まれた少年が、自分の経験だけでクイズに答え続け、一獲千金を得るこの話は、全てが運に左右されている。 いささかご都合主義とも思えるストーリー展開ではあるが、運を基本にこの映画を見る時に、人生の成功には努力や才能だけではなく、運の力も過分にあることを悟る。 その運の強さに人は憧れるし、夢見るのではないだろうか? 僕はこの映画を観ながら、ご都合主義的な、調子のよい部分を感じはしたが、何か別の清々しい感覚に包まれた。 確かに学もなく、自分の経験則だけであのミリオネアの難解なクイズに答え続けるのは、相当に無理がある。 しかし、運というキーワードを元に物語を観ていくと、主人公は強運ゆえに、自らの人生を好転させるきっかけを作った、サクセスストーリとも見ることができ、若者が自分の才覚だけで富をモノにする、夢のある映画である。 多分僕だけの感想だが、この映画はきっとヒーロー映画なのかもしれない。 それはスパイダーマンやバッドマンのような、憂いを抱えながら、すごい力を持った、ヒーローの物語なのかもしれない。 何もスーパースターだけがヒーローになれるわけではないのである。 パチンコ業界と証券会社とJRAは、この映画に協賛するべきではないだろうか?
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