サイの季節

監督 バフマン・ゴバディ
出演 ベルーズ・ヴォスーギ  モニカ・ベルッチ
制作 2012年 イラク トルコ

愛というものの実直さが逆に悲しい映画である

(2016年10月01日更新)

  • 最近は恋愛映画がキテいるそうだ。 「君の名は」と言うアニメ映画がなかなかの興行収入を上げており(今は2016年10月)、聞けば青春ドラマだそうだ。 内容は聞いたところでは大林宣彦監督の名作「転校生」に似ているそう。 定番というものは普遍的な力を持っているもので、手を替え品を替え、形を替え世を替えて登場する。 僕もこう見えて恋愛映画は腐るほど観ているので、そんじょそこらの人よりは恋愛について語ることができる。 そんなことを自負していると、こんな名言にぶち当たる。 恋愛論を得意げに語るやつには、恋人がいない ~マーフィーの法則 マーフィーがなんぼのもんじゃいと思うのだが、一理ある。 一理あるので恋愛論はやめて昔見た映画の話しをしようと思うのだが、昔の洋画の日本語タイトルは分かりやすくて、一つフレーズが当たるとよく似たフレーズをつけたがる時代があった。 例えば「愛と青春の旅立ち」という映画があったのだが、名優リチャード・ギアの若かりし頃の映画で、この映画のヒットから一時期日本映画はこの「愛と~」の呪縛に縛られていた時期があった。 「愛と追憶の日々」「愛と喝さいの日々」「愛と哀しみの果て」「愛と青春の鼓動」と今では考えられないほど似たタイトルが流行った。 まあ「愛と~」と書いてあるのだからたぶん恋愛ものなのだろうと合点が付きやすいのでそういうタイトルにしたのだろうが、安直といえば安直である。 例えば「愛と青春の旅立ち」の原題は「An Officer and a Gentleman.」とある。 直訳すれば「士官と紳士」である。 なんか野暮ったい戦争物を思い浮かべてしまいそうだが、映画を見ればこのタイトルそのままだと感じるわけである。 しかし、映画の内容がそうであっても見てもらえなければ意味がないわけなので、まあ後の日本でのヒットを考えると、戦略的に正しかったのだろう。 「愛するということは愛の対象物を知ることである」 ~フロム 要は映画もまずは見てもらえないと愛してはもらえないというところだろうか。 僕は言葉よりも感覚を信じるタイプなので、好きになる人は毎回タイプが全然違う。 基本的に容姿や経歴で愛するということは一度もなかった。 「おれの好きな人はね、やきもち焼きで 早とちりで 泣いたり怒ったり だけど、その人が微笑うと最高に幸せなんだ」 ~めぞん一刻 この心境が一番しっくりくる。なんかちょっとした所作で人を好きになってしまうということはあるだろう。 要はそこで自分が幸せを感じるかどうかで、そこが狂ってしまうと愛は愛ではなくなるのかもしれない。 しかし最近ではこういった愛情を偏執的な愛情としてしまう傾向がある。 ストーカーという言葉が独り歩きしてしまっているせいでもあるとは思うのだが、そういった思いを相手に強制してしまった瞬間にもそれは愛でなくなる。 要は信仰と同じようなもので、自分が一方的に信じるものを相手に強制しても何の価値もないように、愛も強制することはできないのである。 信仰は愛のようなものであり、強制することはできない ~ショーペン・ハウエル というわけで、いろんな愛の形を投げかけてみました。 今回の映画の主題は愛です。 最初は叶わぬ恋で、政治に翻弄され、愛を権力で思うようにできるようになる。 しかしその愛は決して届くことがない。 愛というものの実直さが逆に悲しい映画である。 色を見るものは形を見ず、形を見るものは質を見ず。 ~夏目漱石 愛の形は様々ですが、愛と色を同化して見ると、愛の形をとらえることはできない。 愛の形のみを見る人(自分にふさわしい女性かどうかとか)は、自らの愛情の質を見ない。 愛は普遍的であり千差万別なので、物語のテーマとして多くを語られるのかもしれない。
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