白い恐怖

監督 アルフレッド・ヒッチコック
出演 イングリッド・バーグマン グレゴリー・ペック
制作 1945年アメリカ

少女のようにはしゃぎ、鷹のように冷静な魂を持つ

(2015年03月11日更新)

  • 思春期になって始めて貼った異性のポスターは風の谷のナウシカだった。 封切りが小学校の頃で、快活な彼女の爽やかさに心惹かれて、ポスターを買ってふすまに貼っていた。 まだ異性に恋をしたこともない頃だった。 次に貼ったポスターがイングリッド・バーグマンのポスターで、確か東急ハンズかで買い求めたものだった。 当時、古い白黒映画や、名作と言われる映画にはまっていて、深夜にやる映画を録画しては、一人でよく見ていた。 有名どころを一通り見て物足りず、スウェーデン時代の彼女の映画を見ては、その美しさに魅了されていたのを覚えている。 あとにも先にも所謂銀幕のスターにここまで入れ込んだのは、彼女で最初で最後だった。 彼女の魅力はその美しさもさながら、飾らない雰囲気と、かもしだされる芯の強さにある。 また体もがっちりしていたこともあって、歩き方に特徴があって、たくましい雰囲気も持っている。 そして、この意見には誰も文句はないと思うのだが、抜群の演技力。 魅力を上げると、それこそ枚挙にいとまがない。 何かでも書いたが、昔の映画の俳優というのは、独特の雰囲気があって、今の俳優と違い、特別感があった。 その俳優を見たいから映画を観に行く、というものが確かにあって、今もそれはあるのかもしれないが、俳優の存在感は、間違いなく今の映画よりはあった。 それは現代の俳優に力がなくなったわけではなく、映像技術も乏しい時代にあって、俳優に対し特別さを持たせる演出をしていたからである。 例えば映画の女優のアップのシーンでは、ライトを当てて少し薄ぼんやりと映し出すことで、まるで消え入りそうな美しさを観る側に印象付ける。 何事もあまり見えすぎてしまうと興ざめで、少しおぼろげな方が神秘性が増すというところだろうか。 今や毛穴まで見えてしまう高品質のカメラの前において、こういった神秘性を伴う演出は難しい。 技術の進化が皮肉にも俳優を、特別さから引きずりおろしてしまったわけである。 その分、俳優に頼らない、内容も楽しい映画が増えたのは喜ばしいことではあるが。 ということで、書店でたまたま見かけたイングリッド・バーグマン作品集を買ってしまったこともあって、今回は白黒映画「白い恐怖」である。 バーグマンのファンのくせにエッセイを書くのが「カサブランカ」や「誰がために鐘は鳴る」ではないのは、特に意味はない。 ただ単純に季節が冬なのと、恐怖に美人が似合うなあと思っているので、今回はサスペンスの巨匠、ヒッチコックの作品をフューチャーすることにした。 この映画は記憶喪失の男が自分の犯したかもしれない罪を突き止めるという、かなりトリッキーな話である。 男は記憶を失いながらも、自分が殺人を犯したと思い、バーグマンはそんな男を愛してしまう。 バーグマンは精神科医で、勉強一筋だったからか、記憶喪失の男を演じるグレゴリー・ペックにぞっこんになってしまう。 ペックは「ローマの休日」の新聞記者役でヘップバーンの相手役を努めた人でもある。 男は殺人犯なのか?それとも冤罪なのか? それは映画を観てもらいたいのだが、流石にサスペンスの巨匠だけあって、まったくもって色あせない面白さがある。 面白いなあと思うのが、バーグマンが新婚旅行を装って昔の恩師の家に泊まりに行くシーンで、カバンも持たずに押しかけたことに違和感を持たない恩師に対し、「昔からそういう人なの」で済ましてしまう。 流石に新婚旅行で手ぶらだと恩師もおかしいと気付いて、ペックが記憶喪失であることさえも見抜き、何か問題が起こるかもしれないと鎮静剤まで用意してしまう周到さである。 どれだけ人を見る目ないねんと突っ込みたくなるのだが、一方でペックの無罪の証拠となる上司の発言の矛盾点を即座に見抜いたりもする。 少し天然さもありながら、自分が愛した人が殺人犯であるはずがないという強い思いを持ち、相手を盲目に信じる純粋さも持つ。 時に理知的に話し、銃口を向けられてもひるまない強さを持ち、情熱的なまでに人を愛する。 そして少女のようにはしゃぎ、鷹のように冷静な魂を持つ。 久しぶりにバーグマンの映画を観て、改めて彼女の魅力に惹かれてしまった。 たまには古い映画も良いものです。
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