レ・ミゼラブル

監督 トム・フーパー
出演 ヒュー・ジャックマン ラッセル・クロウ アン・ハサウェイ
制作 2012年イギリス

これこそがIT技術の進歩を利用した、最大の利点ではないかと思う

(2013年07月22日更新)

  • 最近LINEというものを始めた。 知らない人用に書くと、スマートフォン携帯のアプリで、メールに似たコミュニケーションツールである。 スマホがわからない人はお手上げなので調べてください。(そんな人はいないか) 若い人の中では当然のように浸透しているものらしいが、メールが嫌いなおっさんの僕にもこのLINEは楽しい。 言葉が一言で済むし、何よりスタンプが楽しい。 何となくだが教科書の落書きを思い出して、ついつい嫁に送ってしまったりする。 しかし、このLINEを始めた当初、友達欄に登録している友人や、どこの誰かわからない人の名前が表示されて大変おどろいたのだが、それを家で話すと、嫁が「相手が登録していたら名前が出るんよ」と教えてくれて、純粋にマジで?と嫌な気分がした。 何に嫌な気分になったかというと、仕事でも使うので、例えば取引先や会社の人に名前が出ると、「40過ぎのおっさんがLINEって」と思われるのが恥ずかしかったからなのだが、よく考えれば相手もLINEをやっているので、まあええかと思った。 それにしても、個人情報問題はどこに行ったのかと思ったのだが、聞けばフェイスブックなども同じ機能があるそうなので、コミュニケーションツールの世界では当たり前なのかもしれない。 IT技術の進化はとにかく凄まじく、携帯やパソコン世界のみならず、医療や教育にまで入り込み、僕も仕事でいろんなサービスを見聞きするのだが、とにかく驚かされるものが多い。 本件は映画のエッセイなので、映画で探してみても、3Dはもちろん、今の殆どの映画は、CG無しでは語れないのかもしれない。 もちろん、純粋に人の演技だけで見せる映画もあるのだろうが、架空の世界観を映し出す映画の中で、描き出される映像を彩るのに、やはりIT技術を使わないのは、橋があるのにわざわざ渡舟を使うようなものだ。 雲が出なければ描けば良いし、探せない動物がいれば作れば良い。 所詮は人の作る世界である。 あったらいいなで人は進歩を続けてきたのだから、これからもヴァーチャルでも何でも作り出してくれれば良い。 そんなことを思っていると、雑誌にホワイトカラーの仕事が不要になるような記事を見かけた。 昨今よく言われることではあるが、仕事のIT化は確実に僕たちのような事務系の仕事を奪っている。 僕も業務用システムの構築を仕事で行うので、どちらかと言うと仕事を無くそうとしている立場の人間なのだが、システムを使用するエンドユーザーは、機能を覚えておく手間はあるが、覚えてしまうと仕事が大きく減る場合が多い。 昔読んだ外山滋比古さんのエッセイにも、「創造性のある仕事以外はコンピュータに取って変わられる」的なことがあったが、今や創造性のある仕事でさえも、IT化が進み、ある種の画一性が生まれ、思考停止と思われるものも多くない。 本来技術が進むことで、より創造性が高まるのが通常だが、決められた形にとらわれて、見た目はスゴイが、オリジナリティーや創造性が薄いものが多くある気がする。 結局は使う側の人間が、知恵を巡らせてどう使っていくのかを考えなければダメで、それはIT化云々では解消できない、人の問題である。 ということで毎回前置きが長いが、今回の映画紹介は、少し前はIT技術の品評会と化していたハリウッドで、久々にノミネートされたミュージカルの巨編「レ・ミゼラブル」である。 この映画でも当然CG技術などの、映像のIT化が進められている。 しかし、先に揚げたような映像技術ではなく、この映画の最大のIT化は、音楽である。 ミュージカルにどこか不自然さと恥ずかしさを感じる芸術性の低い僕には、ミュージカル自体がどうしても好きになれない部分がある。 ミュージカル特有のあの突然歌いだす感じが、「普通にせえや」と密かなツッコミをしてしまう所があって、特に歌が素晴らしいと余計に恥ずかしい。 しかし、この映画の歌は、変な言い回しだが、最初はとっつきにくかったが、慣れればどことなく自然に感じられた。 昔見た「サウンド・オブ・ミュージック」なんかでもそうだったが、ミュージカルは歌に入る前後がどうにも恥ずかしい。 今から歌うよ、的な感じがどうしても拭えない。 これは多分音響編集を行うため、演技と歌が別取りだったからだと思うのだが、しかし、この映画の大半は、そういった白々しさが少ないように思う。 それは演技と歌がはっきりとリンクされているからで、恐らく演技と同時に録音をしているからで、これこそがIT技術の進歩を利用した、この映画の利点ではないかと思う。 音響にITを入れ、よりクリアな音が取れる技術の進化が、最終的に人の演技の中に音楽をいれることを最大級成就させ、作品を良いものに高めている。 技術と想像の合致した良い例ではないかと思う。 便利なものを生み出す人間は、時に良いものと悪いものを経て、パターン化された画一的なものを生み出す。 そしていずれそれを壊す何かが現れて、その便利さはまた異なる高みに向かっていく。 すべての技術はそういう課程を経て、人類のものになっていくのだから、便利さを肯定していくことも大切なような気がするのである。
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