レヴェナント:蘇えりし者

監督 アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
出演 レオナルド・ディカプリオ トム・ハーディ  Cocco
制作 2015年 アメリカ

この世は善と悪の単純な二元論ではない

(2016年11月03日更新)

  • 子どもの頃に「トムソーヤーの冒険」というアニメをやっていた。 言わずと知れたマーク・トウェインの小説がベースなのだが、知らない人のために書くと、ミシシッピ川のほとりにあるセント・ピーターズバーグという村に暮らすトムソーヤーという少年の物語で、宿なしハックルベリーなどの個性的なキャラクターが登場して、いろんな冒険をするというお話である。 トムソーヤーは古きアメリカの縮図ともいえる物語で、黒人奴隷や白人至上主義、働かない親の問題やインディアンへの野卑な目線などが垣間見られる。 この中にインディアンジョーなる人物が登場する。 子どもの頃の記憶なので曖昧なのだが、見た目は髪が長く上半身裸で屈強そうで、顔は薄い面持ちで、浅黒い。 見るからに悪そうな顔のこの男は、物語の中で殺人を犯してしまいその罪を人に擦り付けようとする。 トムソーヤーはこの犯行を目撃していたため、裁判で震えながら証言し、ジョーは御用となるのだが、子どもながらにこの内容が衝撃的だったので35年以上たった今でもまあまあ覚えている。 僕の子どもの頃のインディアンは、粗暴な未開の部族で、武力で制圧された野蛮人のイメージだった。 このイメージに「トムソーヤーの冒険」は一役かったわけなのだが、大人になってインディアンについて知ると、実は好戦的な民族ではなく、相当にスピリチュアルな民族だったことをうかがわせる。 例えば彼らは文字を持たなかったそうだが、文字にすると文字が災いを起こすと考えられていたため、彼らは詩にして言葉を残そうとした。 大地に耳を傾け、大地を大切にするその精神は、好戦的どころかどこか穏やかで優しささえ感じる。 インディアンは悲しい歴史がある。 そもそもインディアンとはアメリカ大陸にいた先住民を差し、南北合わせると1000を超える民族が暮らしていた。 コロンブスがアメリカ大陸を発見した時、200万人以上いたとされ、白人は彼らの土地を奪うため、契約の概念と酒を持ち込む。 酒と土地を契約により交換し、白人たちはその領土を広げていくのだが、同時にインディアンは土地を追われることになる。 その過程で狩猟を糧としていた部族は白人と衝突することもあっただろう。 やがてアメリカが国としての体裁を成し、法が作られても、インディアンの迫害は終わることはなかった。 国が大きくなるためには土地が必要で、そのためには定住地に住むインディアンは邪魔な存在でしかない。 19世紀になると力によりインディアンの移住を決定すると、ミシシッピ川以西のインディアン=テリトリーへ移住させる政策を取る。 トムソーヤーで描かれるインディアンのイメージなどは、おそらく歴史的な経緯が加味されていると思われる。 こうした背景もあって、インディアンに対して文明化を迫る政府と、土地に根差した宗教観の強いインディアンの間で当たり前のように衝突が起き、インディアンは白人と戦うことを選ぶ。 昔のウェスタン物でよくある騎馬隊VSインディアンの構図はこのころに生まれたもので、大抵はインディアンが悪く描かれている。 人心を巧みに操るため、政府が作り出した善である白人と悪であるインディアンという構図が、そのまま人心の感情の中に刷り込まれた結果、悪であるインディアンは何をされても仕方がない、という考えにたどり着く。 イラクに対して行われた、ネガティブキャンペーンを思い出すと当時の雰囲気もわかりやすいと思うのだが、正義の国はこの構図がとてもお好きなようである。 結果としてインディアンはその文化や民族も捨てさせられ、無理矢理に文明化されてしまい、今ではその子孫が細々と民族の歴史を継承しているにすぎなくなってしまった。 文化を失った民族は、自らのアイデンティティを失い、民族足らしめているものを失ってしまう。 われわれ日本人もあの戦争で同じ経験があるのでわかるとは思うのだが、悪とは勝利者の理屈でしかなく、悪と言われたものもよくよく主張を聞くと、それなりの正当性があったりもする。 アメリカの政策は明らかにインディアンの撲滅を目指した、国を挙げた侵略行為であり、インディアンの減少や、トムソーヤに見られたインディアンのイメージを鑑みると、その目論見は少なくとも現代の尺度で見れば、成功を収めている。 考えてみればインディアンという名称も、インドと間違えられた大陸に住んでいるからインディアンというのもむちゃくちゃで、今はネイティブアメリカン(インディアンは族称が多く、スー族やアパッチ族のような集団での呼び名が多かったため、総合的な民族としての呼称は存在しない)などのように呼ぶようになり、少しづつ修正されてきたイメージもある。 という前知識があってみると、いかにディカプリオが素晴らしい人物かが分かる今回の映画は「レヴェナント:蘇えりし者」である。 晴れて待望のアカデミーを取ることができたディカプリオの代表作ともなった本作品は、アメリカの生い立ちが見られる映画である。 物語の底辺にあるのは復讐である。 やったらやり返す。この単純な考えがいかにもアメリカっぽいのだが、この映画では勧善懲悪として復讐劇を作り上げてはいない。 静かにただ粛々と復讐を成しえようとする。 同時に映画の中で気になるのがネイティブアメリカンの描き方である。 物語の中の彼らは、トムソーヤーに見られるような野蛮人ではない。 心優しく、仲間を大切に思う人間として描かれる。 対比して法を持った開拓者たちは無法者として描かれている。 アメリカは奪い、蹂躙し、根絶やしにした。 それに対しネイティブアメリカンは粛々と彼らのルールに生きている。 ディカプリオが象徴するものは、彼らと共存する方法があったのではないか?というアメリカの後悔のように見ることができる。 この世は善と悪の単純な二元論ではない。 そのことに多くの人が気づくことができれば、間違った負の感情も少しは消えていくのかもしれない。 ※文中では内容の趣旨からネイティブアメリカンを敢えてインディアンという呼称を使って表現しています。
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