マグノリア

監督 ポール・トーマス・アンダーソン
出演 ジェレミー・ブラックマン トム・クルーズ
制作 1999年アメリカ

圧倒的なものの前では、人間の悩みなどはちっぽけなものなのかもしれない

(2012年01月01日更新)

  • 空から本来降ってくるはずがないものが無数に降ってくる現象のことを、ファフロツキーズという。 降ってくるものは、魚だの、カエルだの、本来空には居ないものが、時には何百という単位で振り落ちてくるのだが、原因ははっきりとはしていない。 基本的には、竜巻が川や湖の一部を吸い上げたり、鳥などが空中で食べた魚などを吐き出すのが原因とされているようだが、インドの例などは、赤い雨が2か月間降ったという例もある。 世の中には不思議な現象があるものである。 僕が子供の頃観たファフロツキーズは、空から無数の女の子のあられもない姿のスナップ写真が降ってきて、見上げると、マンションの上の階で、喧嘩する男女の声が聞こえる。 多分喧嘩した男が切れて、彼女と写したエッチな写真を窓から放ったのか、真相はわからないが、翌日には写真は一枚もなくなっていた。 かたずけるの大変だったろうなと、見知らぬ女の子が少し気の毒になった。 まあ原因が分かっているのでファフロツキーズではないか。 古来人間は空からやってくるものに、神からの授かりものとして捉えていたようだ。 代表は雨乞いで、空からの恵みはイコール神からの恵みであり、そのためには生贄も厭わない。 実際に東日本に多いようだが、落ちてきた隕石を祀っている神社や、星と付いている地名などは、隕石が落ちてきたインパクトで付けた名前だろうと想像できる。 岡山県の西の方には、美星町という飛来した隕石由来の町もある位である。 人類にとって空は、人と神を隔てる境界なのかもしれない。赤い雨が降った日には、神の怒りにふれとうとう世界の終わりが来たかと思う人が沢山いても、それは当然のことだと思う。 畏れとは、理屈だけではなく、何となくDNAに刷り込まれた感情のように感じるのは、僕だけだろうか? 僕は映画「マグノリア」のラストシーンで起こるファフロツキーズを思い出すとき、人々があっけにとられ、一様にその顛末を見守っている顔を、同時に思い出す。 圧倒的なものの前では、人間の悩みなどはちっぽけなものなのかもしれない。 マグノリアは、曼荼羅のように重なるそれぞれの人生を、突如起きる天変地異が救いを与える。 物語は物悲しく、そしてそれぞれがその人生で背負う何かを持ち、そして思い悩んでいる。 物語にマッチしたエイミーマンが歌う「モメンタム」は、アポリアーネの言うところの「時は過ぎゆく私は残る」的な、哀愁に満ち満ちている。 誰しもが無意識に救いを求めているのかもしれない。 目下一番遭遇したいファフロツキーズは、カエルの飛来よりは、大量の札束の飛来である。 まあ、期待はできそうもないので宝くじでも買ってみようかと思う。
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