かぐや姫の物語

監督 高畑勲 脚本:坂口理子
出演 朝倉あき 地井武男
制作 2013年 日本

かぐや姫も竹取物語の著者も、同じく自由を求め、自由を愛した人なのかもしれない

(2014年12月24日更新)

  • 日本の最古の小説は?と聞かれて知らない人は多分少ないのではないだろうか? 竹取物語である。 源氏物語も古いが、竹取物語の方が一応前ということになっている。 そもそも源氏物語の中に竹取物語が最初の物語だと書かれているので、たぶんそうなのだろう。 この物語はとても奇怪で、何が奇怪かというと、物語が何となくミステリアスなのである。 おそらく竹取物語が口承伝播の物語だからだとは思うのだが、竹から生まれるとか、月の世界に帰るとか、平安時代に作られたと考えると、まあまあトリッキーである。 最古の小説でこんなSFチックな話?とは思うのだが、これは今の人たちがそう思うだけで、竹や月などの日本の生活に根付いていたモノが物語の重きを占めていることから考えてみても、やっぱり、当時の空想の中の世界なのだとは思えなくもない。 少し話がそれて、且つどうでもいいことだが、僕はかねてから、竹ととうもろこしは宇宙から来たんではないかと思っている。 竹は腐りにくく丈夫で、切っても中はがらんどうで余分なものもない。 まるで加工して何かに利用されるために生えてきているように思える。 とうもろこしも砂糖やパンなど、何にでも変えられて、しかも栄養価も高く、作るのも簡単である。 ひょっとしたら人間ではない何かすごいものが、「いざとなったらこれを食べて」とクコの実を差し出されたナウシカのように、人類に与えられたモノのように思えてならない。 話がそれたが、竹取物語はその斬新さも相まって、これまでSFで描かれるものが多かった。 昔沢口靖子さん主演でやっていた竹取物語も、月からの使者は宇宙船でやってきた。 竹取物語とオカルトはとりわけ相性が良いのである。 そんなことを考えながら、映画「かぐや姫の物語」を観た。 面白かった。 この物語には幸せに関するメッセージがある。 物語の中でかぐや姫は、人は富があれば幸せだろうと考えるのだが、意外とそうではないことをどれだけの人が知っているだろうか?というメッセージを発信する。 僕たちは何となくこの答えを知っている。 GDPの極めて低いチベットの人々の幸福度が高いように、幸せは主観でその人の心の豊かさで幸福感は変わるものである。 しかし、文明に毒されたのか、理屈では分かっていても僕たちは富が大好きである。 映画ではかぐや姫と高位の者との結婚を望む翁との間で、幸せの違いというものが描かれる。 僕たちは翁の気持ちも分かってしまうし、かぐや姫の気持ちも分かってしまう。 また、人は見栄のために命を落とすこともできる。 美しい姫を貰うことは、愚かな男にとっては、自分に箔をつける。 箔をつけるために人は命懸けで行動することができる。 結婚を申し出た高位の男の一人は、姫の言葉通りに宝を求めて命を失ってしまう。 なかなかに興味深い。 竹取物語が書かれた当時は、貴族文化まっしぐらで、本来なら貴族の位のきらびやかさを描くはずなのだが、異彩を放っているのは、姫が気位の高い連中の高慢な鼻をへし折っている所にある。 昔読んだ時は気づかなかったのだが、男性が作った十二単やお歯黒など、女性を人形のように扱う貴族の生活をまるで揶揄するかのように、姫は私が欲しかったら世に二つと無い宝を取ってきてくれと無理難題を押し付ける。 男たちは三者三様でその指令を受け、かぐや姫の前に現れるが、どれもうまくはいかない。 なるほど、これは宇宙船云々の話ではなく、当時の社会の物語なのだと分かる。 かぐや姫はついには帝の誘いも跳ね除け、とうとう月に帰ってしまう。 それは彼女自身が月に戻りたいと願ったからである。 そこにかぐや姫の処女性が隠されている。 かぐや姫には好きな男性がいて、以外の男性をよしと思わない。 その操を守るために、帝さえも跳ね除けてしまう。 かぐや姫は、現代の女性のように、ただ思うままに生き、自然のままに恋をしたいのだ。 姫の価値観は決して裕福になることや、位を高めて威張りたいわけでもなく、ただ自然に生きたかったのである。 しかし、その普通の事を望んだ結果、かぐや姫は元いた世界に戻されてしまうわけである。 映画を見終えて、竹取物語が何故日本最古の物語として、今も残っている理由が分かった気がした。 竹取物語は、当時の女性が思っていたが言えなかった、自由に生きたいという思いが綴られた物語だったのかもしれない。 だからかぐや姫は庶民の生活の基本となる竹から生まれ、竹から生まれた女性が名だたる権力を持った男性を手玉に取ることが、当時の人々の心に届いたのかもしれない。 そして彼女は決して縛られることなく生きようとして、結局元の世界に旅立っていく。 それはまるで、女性であるというだけでうまく生きられない。一人の才女の物語にも写し取れる。 そう考えると、物語がぐっと近くなり、そしてこのような物語が生まれた背景に、かな文字もかけるほどの知性ある女性の存在を感じずにはいられない。 かぐや姫も竹取物語の著者も、同じく自由を求め、自由を愛した人なのかもしれない。 なかなか考えさせられる映画でした。
■広告

にほんブログ村 映画ブログ 映画日記へ

DMMレンタルLinkボタン あらすじLink MovieWalker
 VivaMovie:か行へ  関連作品:グスコーブドリの伝記