告白

監督 中島哲也 原作:湊かなえ
出演 松たか子 岡田将生
制作 2010年日本

現代は、人の倫理に頼れる時代ではないかもしれない

(2012年01月01日更新)

  • 現代の社会は他人に対して興味がない、冷めた世の中であるとよく言われる。 最近観たテレビで、人通りの多い観光地で、路上に人が倒れていた時に誰か声をかけるか?というようなことをやっていたのだが、相当な時間無視されていた。ちなみに女性と男性であれば、女性の方が声をかけられる時間は早かったようだ。 多分、藤原紀香ばりの美人ならもっと早いだろう。 僕も汚いおっさんが(僕のような)、泥酔して倒れていても、声をかけようとは思わない。 でも死にかけてたらどうだろうか?せめて救急車くらいは呼ぶとは思うが、近づいて介抱ができるか?と言われたら微妙かもしれない。 理由は特にはない。自分が何か出来るとも思えないし、そのために面倒が起こるとなんだか嫌だなあ、と言う感じはなんとなくはわかる。 こういう無関心さは、社会心理学で傍観者効果というそうだが、ニューヨークで起こった殺人事件で、その近くに住んでいた住人が、被害者の悲鳴を聞いたにもかかわらず、警察さえ呼ばなかった結果、被害者は殺されてしまうという、キティ・ジェノヴィーズ事件がきっかけとなってできた言葉である。 都会の人の冷淡さは、この事件からよく言われるようになったのだが、今の世の中は全ての考えの中に、性悪説を基本に考えらているようで、その社会風潮の中で、関わると損をする、ということが実際の生活に多くあるため、こういった無関心さを生んでしまうのではないだろうか。 知らなければ損をする。そこに行くからケガをする。 多くの人がこのような感覚を通念として持っているのではないだろうか。 キティ・ジェノヴィーズ事件の38人の周辺住人も、多くの人が持つ感覚と、悲劇的な事柄に対する慣れによる鈍感さで、冷淡な行動を取ってしまったのかもしれないと思うと、何となくわかる感覚ではある。 あるいは、そう思うこと自体、僕も随分と毒されているのかもしれない。 現代社会は多くの情報に接することができ、ともすればその情報の整理もつかず、擬似的な経験として認識されることがある。 僕の友達にも、旅行に行くのは面倒なので、地図や情報誌を見て行った気になっているという奴がいたが、これもひとつの疑似体験で満足させる例なのだろうが、現代は脳だけで満足できるものが沢山ある。 観光と言うものは「光(珍しいもの。昔はお寺など神様がいる所。)を観に行く」と言う意味なのだが、行かなくても映像として光が見られるのだから、面倒臭がりの旅行好き(どんな奴やねん)は、映像や雑誌で済ます気もわからなくは無い。 僕はこの情報量の多さが無関心さに対して影響があると思っており、テレビやネットの悪い影響の一つではないかと思う。 しかし、情報を受けないようにする、つまりはテレビを観ないというのは少しナンセンスなので、人は倫理観を学び道徳を学び、テレビのような受け身の知識ではなく、自ら取得する知識を身に付けることが教育の中で必要なのではないかと思うのである。 ソフトの多さに対して、ハードである人が成長しないと、何の意味ももたないのである。 現代人は太古の人より優れていると思っている人が多いかもしれないが、人の歴史はたかが1万年(アトランティス帝国があったとして)程度なので、そこまで優秀に進化しているとは思えない。 文明は過去からの遺産の積み上げの結果であり、個々の人が素晴らしい能力を有しているわけではないので、人は高い文明の担い手として、高い道徳を身に付けていく必要があるのではないだろうか。 映画「告白」は、相当に驚かされる映画である。 この映画の主題は復讐だからだ。 タイトルを聞くと、なんだかほろ苦い青春の映画かしらんと思っていたのだが、中身はとんでもない、救いのない内容だ。 物語の骨になっている少年法に対する矛盾に対して立ち向かう強い思想とか、社会正義の実現とか、そんな大層なお題目でもない。 西部劇の勧善懲悪に似た、より強いものが弱いものをくじく映画だ。 しかし、その強さは腕力ではなく、冷淡な策略による、個の利益だけを考えるような、現代人の思考の顕現のような描かれ方をしている。 法に従う気も社会に助けを求めるわけでもなく、只自らの手で復讐を遂げようとする。 現代は、人の倫理に頼れる時代ではないかもしれない。 少年犯罪を裁く少年法に大きな疑問を投げかけた本、「心にナイフをしのばせて」に描かれるように、人のモラルには期待できず、それでも人として正しく、凛として生きることは、ただ損をしてしまう。 そんな世の中はどこかうら寂しい。
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