キングスマン

監督 マシュー・ボーン
出演 コリン・ファース マイケル・ケイン
制作 2014年 イギリス

やさしさを保つためには、伝え守り続けていけなければならない、振る舞いがある

(2016年02月03日更新)

  • この前本を読んでいて「はっ」となった。 「あなたは、自分の得意なことを話せますか?」という質問があり、すぐに答えられない自分に対し、少しでも戸惑う人は自身につまずきがあって、前に進めていないとのことが書いてあった。 理由は若干こじつけ要素も高いと感じたので書かないが、大学の時はそれこそ10以上も話せた得意なことが、いまや考えても一つも出てこないことに驚いたわけである。 それだけ社会の中で自分というものを理解したからかもしれないが、しかし、一つくらいはすぐに出てきそうなものだが、その分野においてより凄いものを知ってしまっているから得意と言えない自分がいるのかも知れない。 年を重ねるということは怖いことで、そもそも自分が得意になることを見つけようという気さえも無くなっていることにも同時に気づかされた。 僕も齢42を超えて、そろそろ人に何かを教えていかなければならない年齢になってきた。 会社では人を見るということを必然的に迫られ、これまで僕なりにやってはきたのだが、仕事以外で何かを教えろと言われても、皆目何を教えればよいのか検討がつかない。 わが子であれば教えることも山のようにあろうが、海のものとも山のものともわからない他人様に、自分の何を教えていくことができるのだろうか? 世に教育訓的なものはそれこそ星の数ほどある。 例えば貝原益軒の「女大学」福沢翁の「学問のすすめ」や新渡戸稲造の「武士道」など、現代でも読者がいる優れものがある。 それこそ人類普遍の人間らしさというものを、その民族の特性に合わせて書かれたものが、今も脈々と語られるのだろうが、正しい人のあり方と言われてしまうと、どこか斜に構えてしまう。 まさに「智に働けば角がたつ」である。 僕は人間に必要なものは「やさしさ」だと思っているので、得意なことは見つからなくても、やさしさを持つ人は、持たない人よりも強い人だと思っている。 しかしそのやさしさも、情という言葉に変わってしまうと、人とのかかわりの中のやさしさになってしまうので、そこには他の感情が入り混じり、やさしさが詭弁になりかねない。 やさしさとは特定のものに向けられるものではなく、生きる上で常に持ち得ていないといけない。 それは披露するものでもなく、見返りを期待するものであってもならない。 そういったやさしさは、やさしい自分を作るためのやさしさであろうかと思う。 まさに「情に棹差せば流される」訳である。 とはいえ「やさしくなければ生きている資格がない」みたいなことを言われてしまうと、それもなんだか理屈の上に成り立った、砂上の楼閣のようで、理屈なんてものは組み立てた根底が異なればまったく違う結論が出るものなので、理屈が通ればそれが正しいという物言いがまず気に入らない。 良くある人生訓のような「こうでなければいかん」などと、模範的な生き方みたいなものが前面に押し出されると、窮屈な気がしてしまう。 規律や規範は十分にその必要性を知ってはいるが、それもまた曖昧模糊とした、人を決めた方向に導くための共通言語というだけで、それぞれのコミューンに加わるためのイニシエーション的な意味合いを感じてしまう。 つまりはその共通言語に従い、生きていくということ自体がなんとなく意地っ張りで、しんどいなあと思うわけである。 まさしく「意地を通せば窮屈」になってしまう。 じゃあ、お前は何を信じて、何のために生きているのか?とお釈迦様に聞かれても、僕はただ生きていますとしか答えようが無いのである。 生には意味などなく、死には無しかない。 だから少なくとも、その生を迷惑をかけずに、ひっそりと全うするために、僕はやさしさがもっとも大切なのではないか、と考えるのである。 何の映画の感想?と毎回思うこの映画エッセイサイトですが、今回は紳士の生き方を考えさせられる娯楽映画「キングスマン」である。 映画は安心してください、こんな重苦しいテーマではなく、あっさりした魚介スープのような内容で、世界を守る正義を行う、民間のスパイの痛快活劇である。 民間とは言えその一人ひとりの実力は、KGBやMI6も真っ青で、優れた試験に勝ち抜いたものだけが名乗ることが許されるのが「キングスマン」である。 「キングスマン」は民間故に、政治や国家間のしがらみに左右されない、真に正義を実現することができる組織である。 正義を実現するとは、うらやましい話だが、正義を語る重さもきちんと描かれている。 彼らは選ばれた人であり、勝ち抜いたものであり、そして紳士的な人である。 基本に流れるのは紳士としての振る舞いと、人としてのやさしさである。 そのやさしさを受け渡すものと、受け取るものの話でもある。 やさしさを保つためには、伝え守り続けていけなければならない、振る舞いがある。 得意なものとは、伝え守り続けていかなければいけない何かであり、その為に得たものなのかもしれない。 今の僕が得意なものを答えられないのは、伝え守り続けるものを持たないからかもしれない。
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