キンキーブーツ

監督 ジュリアン・ジャロルド
出演 ジョエル・エジャートン キウェテル・イジョフォー
制作 2006年 イギリス

進歩も退化も同極にあるようで、なんだか恐ろしい話

(2016年01月03日更新)

  • 例えばあなたが靴を販売する商社マンだとする。 ある中東あたりの国にその靴の販売に出向き、空港に降り立つと、周りの人々が靴を履いていないことに気づく。 そしてすぐに本部的なところに電話を入れる。 「ダメです。この国は誰も靴を履いていません」 「やりました。この国は誰も靴を履いていません!」 お分かりのようにできる商社マンは後者を電話で報告する。 全員が靴を履いていないのであれば、靴を売り放題になるということである。 靴を履いていないのはチャンスであって、決してマイナス要因ではない。 しかし、ここで問題なのは、何故靴を履いていないかである。 空港もあるような国なので、靴を知らないことは無い。 とすると靴に必要性を感じない何かがこの国にはあることが想像できる。 靴を売る上で、その何かを調べ、それに変わる靴を履いたときの効用をあげ、新しい価値としてこの国に定着させなければ靴は売れない。 できる商社マンは自分の売り物に対し、あらゆる角度での戦略を立て、即座にニードを作り上げていく。 靴を履いていないことは寧ろ皆が靴を履いているよりも歓迎すべき話であり、そこからは無限に販売に繋がるストーリーを考えることができるわけである。 靴のケースだと分かりやすいのだが、それが見たことが無いものであればややハードルはあがってしまう。 例えばノルウェーで扇風機を売ってこいと言われたらどうだろうか? 一昔前のノルウェーの人々は、多分だが扇風機を見たことはないだろう。 扇風機は暑いから利用するのであって、年中寒ければそんなものの必要性がそもそも無い。 無いものを売る場合は、その説明から入らなければならないのだが、どう転んでも寒い最中に扇風機はいらない。 ではどうすればよいのか? ノルウェーでも暑いところに売りに行けばよいわけである。 例えば作業場や溶鉱炉などの労働場所や、サウナ施設なども良いかもしれない。 つまりニードがある場所を探し当てれば、売れないということは無いわけなのである。 昨今では、少しずつではあるが情報が平均化する中で、まだ知らないすばらしいものというものが少なくなってしまった。 経済も飽和した今の日本において、新しい価値観を創造するよりも、今あるものの形を変えて提案することがビジネスでは重要になってきている。 電気屋に行くとよく分かるのだが、例えば洗濯機を見ていても、乾燥機能付き、大家族用、清音仕様、銀イオン消臭、コンパクト、横ドラム、低水量などさまざまなニードに答えられるラインナップになっている。 最早タブレットや携帯端末のようなIT分野以外では、ある客層を意識した戦略(ニッチ)が、商品作りの基本になっていることが見て取れるわけである。 そういった商品作りを行う上で、会社は開発力、情報収集力、営業力を身につけ、総合的な組織力で現代を生き残ろうとしているのかもしれない。 経済は生き物なので、数年後はまたどうなっているのかは分からないが、昔の様に、偉大なアイデアで社会が牽引されるというケースはもう無いのかもしれない。 というありきたりの経済論で書き始めた今回の映画紹介は「キンキーブーツ」という、靴作りのお話である。 古い紳士靴を作るメーカーを継いだ男が、会社の存続をかけて、ドラッグクイーンと呼ばれる女装家用のブーツを作るという奇妙なお話であるが、この物語には企業の生き残りに賭ける苦労を見ることができる。 考えさせられるのは、良いものは必ずしも社会の必要ではないという現実である。 機械が人間のあらゆる技術を凌駕する時代が近づいているのである。 最近ペッパーという、ロボットもどきの開発セミナーを受けた影響からか、やがて近い将来、人間の持つ技術の全ては機械化されてしまうのではないか?と思うわけである。 ニッチを狙って技術を継承させていくのも拙い抵抗で、やがて機械が人間のあらゆる技術を習得してしまい、人間は機械に叶わない日がやってくる気がするのである。 機械に叶わなくなった人間は、やがて機械に駆逐され、滅び行く運命なのかもしれない。 この映画では、靴職人の技術が、その技術を求める特殊な場所で価値を発揮したのかもしれないが、その技術さえも機械が取って代わってしまったら、そこに人の仕事は介在できなくなってしまう。 それは現代人が、昔の人ができたであろうさまざまなことができなくなってしまっているように、近い将来人間はその技を磨く必要も無くなり、職人技に代表されるような技術というものはなくなってしまうのかもしれない。 そう考えると進歩も退化も同極にあるようで、なんだか恐ろしい話である。 キンキーブーツは今から10年ほど前の映画なので、すでにその様相も変わりつつある。 実際に3Dプリンターは、職人の技を再現しつつある。 しかし3Dプリンターは自らで創造することはできない。 やがて創造する3Dプリンターが現れたら、我々人類は機械に敗北するのかもしれない。
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