フィッシュ・タンク

監督 アンドレア・アーノルド
出演 ケイティ・ジャービス
制作 2009年イギリス=オランダ

負けた時間が長すぎると、負けることに対しての抵抗が薄れていく

(2013年06月10日更新)

  • やることもなかったので、学校から帰って家で寝てると、外から自分の名前を呼ぶ声が聞こえてくる。 家は公団住宅の4階だったので、下から声を上げれば、夏場の開けた窓から声は十分聞こえる。 僕はうつらうつらしながら下を覗き込むと、先輩が数人屯して僕の名前を叫んでいた。 先輩は下の自転車置き場でバイクをいじっていた。 まだ中学生だったが、改造したバイクを乗り回していた。 僕は先輩に呼ばれて行くと、先輩はチェリオを買ってきてくれという。 そんな理由で団地内に響く声で叫ぶなよ、とは言えず、僕は言われるがまま、近くの雑貨屋に行ってチェリオを買ってくる。 まだ缶ジュースが1本100円の頃の話である。 僕は市営住宅に生まれた。 所謂雇用促進住宅の類で、近くにも何棟かの同じような建物があって、そのどれもが似た構造のものだった。 自転車置き場には鍵のない自転車が山のように無造作に放置され、使い捨てられたコンドームが公園の砂場に捨てられていたり、どこかの夫婦の喧嘩がしがな聞こえてきたりと、今思えばあまり宜しくない環境で育った。 別に団地が悪いわけではないとは思うのだが、僕はそんな環境下で大学までを過ごした。 ある日のこと、朝早くに団地の上の階に住むどこかのおばさんが自殺をする。 僕と同じ学校に通う娘を残し、噂では借金苦での突発的な自殺だという。 その話を、僕は早朝マラソンをしていた友達に聞いて、数人でその場所を見に行った。 もうすでに警察が来て、入れないように防衛線がはられていて、近所の大人もあっち行けと言わんばかりだったので、細かなところは見てはいなかったが、ちょうど落ちた場所にあった鉄の柵がぐにゃりと曲がって血がついていたのを覚えている。 小学校の高学年の頃の話である。 僕はたまにあの頃の自分と今の自分が違うような気がする時がある。 たまに実家に帰って、子どもの頃によく遊んだ公園や、住宅内を歩くと、その雰囲気に懐かしさより、よくこんな所で育ったなあ、という気が湧いてくる。 おそらくそれは嫌悪感から来るのだろうが、どこかで僕はあの頃の生活を憎んでいる気がする。 現に僕は同じ階のあまり遊ばなかった年上の男の子が、僕が高校の時に引っ越していったのを羨ましく思ったし、マンションに暮らす普通っぽい家庭の友達に対しては、心のどこかで変な劣等感を持って生きてきたような気がする。 それは子どもの頃に味わった、くすんだ差別の色と、暴力の匂いと、忘れがたい人間の業を含んだ映像を思い出す時に、強く感じる。 同時に僕は、果たしてそう思うことは正しいのだろうか、と思うことがある。 僕が見てきたものは、同時に僕を作るものであって、それを否定することは自分を否定することにつながる。 例えそれが自分の望まないものだったとしても、自身でそれを否定してしまっては、先は何もないような気がするのである。 少なくとも僕はこの場所から多くを学んだはずである。 僕は実家に帰る時に、いつもそのようなことを考える。 面倒な性分である。 「フィッシュ・タンク」という映画は、イギリスの住宅に住む、奔放な母のもとに生まれた少女の話である。 彼女は自分の置かれた貧しい状況と、母の愛さえも受けられない環境に苛立ち、全てに対して牙を向ける。 少女を癒すものは、好きなダンスだけだった。 やがて少女は、母親の彼氏に恋をする。 その恋はある日突然実るが、しかし彼女は裏切られ、ダンスにかける夢も、その遠さに挫折する。 彼女の内面にはびこるのは、自分の生い立ちの不幸さと、それでも自分らしく生きたいと願う、純粋な気持ちである。 パッと見、物語は切なく、15歳の浅はかな少女の物語くらいにしか感じられないかもしれない。 それはかなりの部分で正解だと思うが、これほどひどくないにせよ、比較的似た環境で育ったせいか、彼女のあがきはただの青さでは片付けられない所が僕にはある。 ずっと望んだものが手に入らなかった子どもが、本当に手に入れたいものがあって必死に頑張った結果、やっぱり手に入れることができなかった時の絶望感や、寂寥感は、多分あまり自分を不幸だと思わなかった子どもの頃を過ごした人にとっては、共有しにくい感情ではないか。 彼女はこれまで数え切れないほどの絶望や、反対にあってきている。 それはただ、家族で過ごしたいとか、学校での出来事を聞いて欲しいとか、そんなちっぽけなことさえも達成できなかったこれまでに対し、今回もやっぱり手に入らかなったと思い続ける悲しみを知れば、自ずとこう考える。 「また今度もダメだった」 そんな負けた時間が長すぎると、負けることに対する抵抗が薄れてくる。 それをただの弱虫で片付けることは、僕にはできない。 「人生そう捨てたものじゃないさ」 そんな言葉が虚しく空転する。
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