博士の愛した数式

監督 小泉尭史
出演 寺尾聰 深津絵里
制作 2006年日本

子供に観せたいまたは読ませたい作品の一つである

(2012年06月22日更新)

  • どんな科学的な事例かにもよるのだが、科学的な検証の精度は99.9パーセントを超えて初めてその理論が正しいと立証されることになるそうだ。 僕のようなまあまあの精度で生きている人間としては全くもって理解できない数字だが、これには理由があり、科学はある現象について何故そうなるのかを過去の経験や知識から仮説を立て、全ての反証がなくなって初めて理論として正いとする学問だからである。 例えば地球は丸いという理論に対して、「地球を1周すると元の場所に戻ってくるから」ということを理由とする場合、「地球が丸以外の」場合を反証するわけである。 当然だがこの場合は他の図形でも同じことが起きるので、地球が丸いということにはならない。 一方「障害物のない海で、進行する船がどんどんと地平線のかなたに沈んでいる」ということを理由とする場合、地平線に対して並行または上がっていくことはないので、地球は面に対して、歪曲している、つまり丸いことが立証されることになる。 ここで検証するのは地平線に対して並行、または上がるケースがないかを実験によって明らかにするわけである。 科学的に正しいと決めるためには、全ての可能性を検証した結果、通常の物理法則に従うのならば、ほぼ100%正しいという意味のようだ。 勿論きちんと検証ができにくい理論(多くの科学的な事象がそうなのかもしれないが)は、ここまで高い精度ではないだろうが、いずれにしても理論が反証されるようでは意味がないので、その事象については、考えうることを全て検証を行なった上で判断するようだ。 ではここでいう100パーセントに足りない0.1パーセントはなんなのか。 これはニュートン力学が現在の物理学では通用しないように、将来的に今信じられている法則と異なるものがいつ出てくるかわからないので、現時点での100パーセントは無いという判断なのかもしれない。 数学は科学と違い、その理論に100%以外はない。 つまりはどのように解釈しても、どのような方法で解いても、同じ答えになる。 1+1=2というような、基本的な自然法則を公理(勝手に決めた正しい理論)と言うのだが、この公理 から導き出される理論が誰の目から見ても正しければ、その定理は永久的に正しいということになる。 そうして公理によって積み上げられた法則は、その完全性ゆえに、とても美しいものとして形容される。 ここに科学と数学との大きな違いがあり、科学は仮説とその仮説の検証を繰り返す学問で、数学は公理から理論を導く学問のため、同じ数字を扱う学問としては、そのアプローチが全く異なるのである。 しかし、この二つの学問は相性が良く、しばしば科学を数学的アプローチで解き明かす様なことがなされる。 例えばホーキングの唱えた宇宙の起源は完全な無から虚数の時間を経て一気にビッグバンへとつながり、今の時間と空間ができたという理論の「虚数」とは、いわゆる数学的仮説からのアプローチである。 宇宙の起源を解くためには数学の要素が不可欠だったが、そのあとの世界は全て物理法則が満たしているわけである。 かつて、地動説を糾弾した聖書を信じる人々も、無から有を生み出した数学理論に対し神を見い出し、その虚数の時間からビッグバンに移る際のきっかけとなった力に対して、神の力が介在すると考えることで、理論を受け入れている。 そういう視点から見ても、神が使う完全なる数式が美しくないわけが無い。 映画「博士の愛した数式」は記憶が80分しかもたない数学者と、家政婦との心の交流を描く話である。 物語全般に優しさがあり、小川洋子さんの原作の世界観を忠実に再現している。 博士が教えてくれる友愛数や完全数など数学的な表現は、とても新鮮で、そして数学のもつあのとっつきにくい部分とは違う側面を感じることができる。 僕は特に原作のファンで、その後藤原正彦さんの本が売れたり、フェルマーの最終定理や数学ガールなどベストセラー作品も出たこともあり、数学に対し興味を持ち、また学ぶことの喜びを改めて知るきっかけになった。 子供に観せたいまたは読ませたい作品の一つである。
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