僕と世界の方程式

監督 モーガン・マシューズ
出演 エイサ・バターフィールド レイフ・スポール
制作 2013年アメリカ イギリス

女性という仕事は男性にはできないのかもしれない

(2017年10月19日更新)

  • 昨今女性の社会進出が叫ばれて久しく、男性しかやらなかった仕事も女性が目立ってきている。 タクシーの運転手が女性なんて言うことはもう当たり前だし、大型トラックの運転手や大工や鳶職といった体力仕事も女性が増えてきているのは実感できる事だと思う。 昨日の新聞でも競馬ジョッキーで10勝以上を上げている女性騎手も出てきて、良い時代が来たと思う反面、大変なご苦労もあるのだろうと思ってしまう。 単純に体力面ではやはり男性が上なので、女性は人一番頑張らなければいけないだろうし、男性も変に気を使ってそういう女性に接していないだろうかと変な邪推をしてしまうからなのだが、そんな僕のような軟弱男には到底真似のできない男性顔負けの力を女性は持っているし、精神面も太古から女性のほうが強いのは男女の平均寿命が物語っていることなので、余計な心配なのは言うまでもないかもしれない。 とは言え、このエッセイのどこかにも書いたが、日本において企業の女性の重役の数は圧倒的に少ないし、まだまだ男性上位の社会だなあというのは職場を見ていても分かる。 特に知識仕事はまだまだ男性社会だなあと感じる面があって、例えば数学者なんかは、平成26年度で少し古いのだが総務省のデータによると数学や物理の女性研究者の数は7パーセント程度だそうだ。 勿論何をもって研究者とするかという話もあるのだが、それにしても世界基準から見ても相当に低いのがうかがえる。 確かに数学分野において女性研究者の活躍はあまり耳にしないのは僕が不勉強だからだろうか。 女性の数学者と言えば、最近亡くなられたイラン出身のミルザハニさんが有名だが、彼女が女性で初めてだというフィールズ賞という、数学の権威ある賞を受賞したのは2014年である。 本当に最近である。 理系は男性のほうが脳的に向いているようだが、とは言え女性の優秀な数学者がイランという男女性差がある国で生まれたのも、少し皮肉な感じがしないでもない。 差別云々は多分無いと思うので書くのだが、女性が数学者として少ないのは、単純に数学という学問の特性によるのではないかと個人的には思う。 数学という学問は少し妙なところがあって、例えば無理数という言葉がある。 無理数とは簡単に言うと分数で表せない数字のことで有名なのは円周率πである。 円周率とは円の半径に対し何倍すれば円の長さ、つまり円周になるかを表すもので、2πrで学校では習ったのではないだろうか? そもそも答えが永遠にない数字って何?と思うのだが、男性はこういうものを受け入れやすい。 何故なら、男性というものは基本的に、考えを頭の中の知識でまとめていこうとするのに対し、女性は社会性が高く、コミュニケーションの中でまとめていくことが多い。 簡単に言うと男性は物流やプログラマのようなモノを相手にする仕事を好むのだが、女性は接客や介護など人と接する仕事を好む傾向にあるという事である。 僕も正直円を実際に作って図ることができるのに、なぜ数式だと答えが出ないのかはよく理解できないのだが、円周の出し方に円の特性である無限多角形が関わっていることは理解ができる。 多分だが女性はこの概念だけの話しみたいなものが苦手なのかもしれない。 とは言え男の僕でも数学の世界は敷居が高いなあと思うのは、数学という世界はその心理に向かう上で多くの知識と、地道な作業があって、言葉の代わりに見たことのない記号がふんだんに盛り込まれた数式が登場することで、より敷居が高くなってしまう。 例えば僕はプログラムをするのだが、クラスだのオブジェクト指向だのトランザクションだのよくわからない言葉が頻出する。 当然どの職業にもそういった独特の言葉はあるのかもしれないが、別に言葉を知らなくても何となくは説明できるものだと思うのだが、プログラムの世界は共通の言葉を知らないと、そもそもの説明ができないこともあったりする。 そのためだろうかプログラムの仕事も数学も似たような部分があって、単純な内容を平易な言葉で説明しようとしても、なかなか理解されない所があって、そういったコミュニケーションの取りずらさが女性に倦厭される理由なのかもしれない。 とは言え全国のプログラマを代表して言うと、皆何とかして分かりやすい説明をしようと頑張っているのだが、得てしてプログラマはコミュニケーション能力が低いので結果余計分かりづらくなってしまっているだけなのである。 女性の皆さんもよい世界なのでよろしければ目指してみてください。 円周率の話が出たので思い出して書くのだが、例えばかの有名なギリシャ時代の智の巨人アルキメデスは、攻めてきたローマ兵が自分をとらえようとしている中、数式を踏んだと兵士をなじったことで、兵士が怒って殺害したことが知られている。 数学者は没頭する人が多いのかもしれない。 まあ紀元前の話をしても仕方がないのだが、こういった変わり者のイメージも数学者には付きまとう。 多分数学という仕事が、ひたすらにノートや自分の頭の中で繰り広げられる世界なので、外に開かれている普通の仕事をする人々からすれば奇妙な存在なのかもしれない。 この辺だけはプログラマを生業とする自分でも少し分かる気はする。 という事で今回の映画紹介は、数学の天才児のお話し、「僕と世界の方程式」です。 子どものころから数学に秀で、人と違ったコミュニケーションを取る男の子の成長の物語です。 物語の男の子はとにかく数学ではたぐいまれな才能を発揮するが、人間的には愛情というものが理解できない子で、母に対しても、頭が悪いという理由で拒絶してしまう。 彼の唯一信じることができた父親は、ある日彼の目の前で交通事故死してしまう。 そんなショッキングな出来事でも男の子は心を持たない人形のようにすんなりと父の死を受け入れ、やがて高い数学能力を治めた彼は、数学のオリンピックでその才を発揮しようと試みる。 しかし同世代の天才たちに囲まれる中で挫折を憶える。 弱さが人を変えるのか、挫折の中で少年は人との付き合い方や恋も教わることになる。 ドラマの最後には男の子は親の愛情を理解し、数学オリンピックの会場でまさかの行動に出てしまう。 子どもの成長を描く映画というのは、どれもみずみずしい感覚と、懐かしい思いがこみ上げる。 淡い恋心は人を素直にさせ、且つ人の心を正しい道に誘う。 誰にもある経験をこの映画は思い出させてくれた。 数学者は確かに変わっていて、世間とは確実に違っているのだが、しかし人である以上、その違いは多分そんなに大きなものではない。 その違いを認めつつも大きな愛情を注ぐことができる女性は、やはり男性よりも優れた存在のような気がする。 そういう意味では男性しかできない仕事は無くて、逆に女性という仕事は男性にはできないのかもしれない。
■広告

にほんブログ村 映画ブログ 映画日記へ

DMMレンタルLinkボタン あらすじLink MovieWalker
 VivaMovie:は行へ  関連作品:天才スピヴェット