ビリギャル
監督 土井裕泰
出演 有村架純 伊藤淳史
制作 2015年 日本
勇気ある低学力の女の子
(2016年02月07日更新)
- 最近、学力神話はもう今の企業には通用しない的な論調の記事を読んだ。 どういうことだろうと読み進めていると、どうやら企業体質として、長い不景気で常に新しい考えを求められる企業などでは、学歴よりもコネクションや人脈が大事になり、高学歴でもさして出生しない世の中になったと言うことが、数字を交えて書かれていた。 実際の例で、都内W大学出の人の話が書かれていて、エピソードは高学歴の人の愚痴にやや近い内容に感じられた。 とは言え自己分析はきちんとされていたので、記事としては洗練はされていたのだが、結論としては、学歴だけで金が稼げるわけではないので、ただ学力が高いだけで厚遇はできないということなのだろう。 とは言え学歴は一つの真面目さの目安だとは思うので、人を判断する要素としては必要だと、低学歴の僕なんかは思うわけである。 こういった事を書くと必ず出てくる論調に「日本の大学は入るのが大変なので入ってから勉強しない」見たいな事を言う人がいる。 まあ、事実なのだろうが、それで何が悪いのか?とはよく思う。 そもそも大学は、社会に出てからのステイタス程度のものなので、よほど学問が好きでなければ、そこまで難しいことを覚える必要はあるのだろうか?と思ってしまう。 皆が学者になるわけでもなし、ひとまず必要最低限の知識や、自分の好きな学問をおさめれば、それで良いようには思う。 要はそのステイタスを得るために、どれだけ努力したのかを評価しても良いとは思うのである。 そもそも、日本の大学で社会人バリの実践的教養が身につけばよいのだろうが、そんなものが経験無しに身につくはずも無いわけで、仮に経験に基づいた講義をやったとしても、ただの経験者ではろくな講義にならないケースも少なからずあるだろう。 特に日本は中国から学問を習っていた歴史からも、大学入学まで中国に倣って記憶中心に学力評価をしていたため、頭の良し悪しも、いわば記憶力によるところが大きかった。 一方で大学の卒業が難しいとされる諸外国では、学習の形自体が記憶中心ではなく、知識を持ってどのような発展的な意見を生み出せるかという所を教育のかなり早い段階で行われているのは周知の事だろう。 単位履修の概念が違うのだから、「暗記が大事じゃないんですよ、考えですよ」と急に言われても、日本の普通の学生はピンと来ないのではないだろうか。 そんなことを思っていたら、テレビで秋田の国際教養大学という大学の特集があって、その教育スタンスに感激してしまった。 かなり実践的なグローバル感覚を養える大学のようで、詳細はここでは書かないが、少しだけ書くと、授業は英語で行うし、海外への留学も義務という徹底振りである。 のほほんと大学生活を送っていると、それこそ卒業はできなさそうだ。 しかし、ここで身に着けた語学力は本物だろうなあ、と毎日パソコンに向かって英語っぽいプログラムを生業にしている人間としては少しうらやましかったりするわけである。 やや話がそれたが、受験という登竜門を越えることは、そこまで無意味なことではないし、そこで頑張った経験はたぶんどこかに生かされるはずだとは思うわけである。 受験をテクニックで乗り切ろうとする人もいれば、山を張る人もいるかもしれないが、それが本当の勉強ではないと言えばたぶんそうなのだろう。 しかし、そもそも勉強は勉めて強いるわけなので、いやいやながらも頑張って行わなければならないものなので、テクニックで乗り切って何が悪いと思うわけなのである。 むしろ受験テクニックで乗り切るのはどうか、と考える人の多くは、受験が勉強ではなく、学習(学んで習う)と考えているからだと思う。 学習は大学に入ってからやるもので、受験は勉強の成果を評価するものである。 受験は学力によるふるいである。 学習は何も大学がすべてではないので、そこにおそらく勘違いがあるのではないかと思うのである。 ついでに言うと、受験は今のままでいいので、実践的な何かを得られる大学をもっと作るべきだと思うわけである。 ということで今回は受験という壁に立ち向かった勇気ある低学力の女の子を描いた「ビリギャル」である。 学年ビリの子が慶応義塾大学に入るという、いささかトリッキーな話なのだが、事実は小説より奇なりで、実話だそうだ。 僕は失礼承知で立ち読みで本も読んでしまっているのだが、正直生徒もさながら、先生も相当優秀だと感じた。 ビリギャルを教える塾の先生は、受験は勉強であることをよく知っている。 受験生をその気にさせるのがうまく、努力家で、そして何よりも生徒を信じる才能がある。 そして、たぶん受験のテクニックも持っているのだろう。 テクニックがあるからやる気を引き出すことができ、学年ビリの子でも私立の最高峰の大学に入学させることができたのだと思う。 受験のためだけの勉強をしてきた女の子は、大学に入ることが目的なので、良い大学に行っても意味が無いのではないか? そう思う人もいるかもしれない。 しかし、彼女が努力した経験は、きっと間違いなく将来に役立つはずである。 受験でもなんにせよ、そういう物事に打ち込む機会があることが、たぶん一番重要なのではないだろうか。
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