ビッグ・アイズ

監督 ティム・バートン
出演 スコット・アレクサンダー 、 ラリー・カラツェウスキー
制作 2014年 アメリカ

多くの感動や、共感を得て、最後に継承者を生むために生まれてきているのかもしれない

(2015年08月24日更新)

  • 最近印象的だったエピソードに、ある漫画化がデビューの際に、自分がお世話になった売れっ子の漫画家に意見を聞いた時に、「もう少し目を大きく書け」と言われてその通りにすると、人気が無かった自分の漫画がうなぎのぼりに人気になっていったそうだ。 そんなもんかねえと思ったのだが、確かに最近の漫画の絵は、目が大きく描かれることが多い。 「目は口ほどにものを言い」ではないが、それだけ目というものは主張するものなのかもしれない。 これも最近聞いたのだが、少女の絵に定評のあるフェルメールも、目にはひときわ注意を払っていたそうで、絵を良く見ると、瞳に星が描かれている。 そのフェルメールの技法を学んだ多くの漫画家たちが、今のイラストの瞳の描き方に継承されているのだそうだ。 現在の漫画の構図というものは、そういう先代のすばらしい才能の集大成のなせる業なのだとは思うが、一コマ一コマにそういったテクニックが集約されているのだとしたら、確かに世界的なブームを巻き起こす力があるのかもしれない。 僕は個人的にイラストレーターの描く図柄は好きで、最近では中村祐介さんの絵なんかを見ると、単純に「おおっ!きれい」とか思ってしまう。 彼の絵はどこか昔小梅ちゃんとかいう飴のパッケージにも採用されていた、林静一さんの絵柄を思い出させてくれて、何となく昔の古風な日本の風景を思い描くのだが、そこは現代の作家らしく、エキセントリックな背景によって、見事に自分のものに仕上げられている。 アーティストという人種は、他の刺激から自分の作品へ昇華していくという作業を常から行い、それを世の中に問うていく仕事で、大変な仕事だなあと凡才のわが身は思うわけだが、その分魅力のある仕事だと言えるのかもしれない。 アーティストとそうではない人を決定的に見分けるには、おそらくアーティストは自分の作品に対し、何がしかの答えを持っている点にあるのではないだろうか? 例えば絵や造形物のようなものは、その作品自体が言葉を発さない。 そのために作品自体の言葉をアーティストは考える。 その言葉を絵にこめて、その絵にこめられた意味を理解して、人はその絵に魅了される。 何だか寂しい言い回しだが、大部分の人は芸術心が無く、アーティストの考えに無関心で、感性もそれほど持ち得ない。 結局は言葉によって芸術性を確認できなければ、なかなか受け入れられにくい。 逆に言えば、作品に答えが無いのであれば、それは作品として価値を得にくいものになりかねない。 その辺が芸術の難しいところで、結局はネームバリューや、アーティストの見た目や、語りの上手さみたいなものに左右されるが故に、本当に良いものが世に出にくいのかもしれない。 そんな絵心の無い僕が、生意気に芸術論を語って始まる今回の映画紹介は「ビッグ・アイズ」である。 物語は1960年ごろのアメリカで起きた、マーガレット・キーンという一人の女性画家の話で、簡単に言うと替え玉事件である。 この人の再婚した旦那さんが、彼女の絵の才能を見抜いて絵を売り込んで富を得るが、その際に彼は「自分で描いた」と言ってしまう。 当時のアメリカ社会は、完全に男性社会で、女性はつつましく家で家事をやっていれば良い的な雰囲気があって、この人も旦那に強く強制されて、結局絵を自分が描いていることを言い出せずに日々を過ごしてしまう。 今よりも著作権の考えが弱い、どこかの成り上がりの大国のように人のものを平気でぱくっちゃう時代なので、多分回りもうすうすは感ずいてはいたけれど、そんなに悪いことだとは思っていなかったんじゃないかなあとは思うのだが、旦那がだめだなあと思うのが、アーティストという人種を理解していないことにある。 そもそも、先ほど描いたように、アーティストは作品に答えを持たせる。 それは自分自身であったり、自分自身の生き方であったりするのだが、当然に自分の作品の権利を人に譲るということは、その全てを人に委ねるということになる。 よほどの拝金主義で無い限り、多分そんなことはしないだろうし、もし容易に自分の作品を人に渡すのであれば、その人は多分アーティストではなくプロダクターなのだろう。 映画の中で彼女は何度も苦悩をする。 世間をだまして絵を売っていること。 自分の絵が廉価なポスターで売られているのを見たこと。 その苦悩はそのまま、アーティストが生きる意味を考えさせられる。 この映画を観ながら、とても印象的だなあと思ったシーンで、マーガレットが、旦那が絵描きであると思っていたが、それ自体も嘘で、彼が絵を描くことができないと知った途端に、一気に関係が冷めてしまうシーンがある。 とても印象的で、彼女は同じ絵描き以外に自分の作品を陵辱されるのを許さなかったのかもしれない。 そこに彼女がアーティストであることを象徴としている気がして、才を持ちえない自分のような人間との差のような気がしてしまった。 最後にこの映画を観ながら思い出していたイラストレーターに、奈良美智さんという人がいて、この人の絵の女の子はどこか底意地が悪そうで、しかし存在感を感じるタッチで描かれている。 奈良さんの絵を見ると、ビッグアイズの少女を思い出してしまう。 アーティストは自らが産んだ作品を世に送り出し、多くの感動や、共感を得て、最後に継承者を生むために生まれてきているのかもしれない。 そうして作られてきた文化が人類の財産になっていくのだろう。
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