舟を編む
監督 石井裕也 原作:三浦しをん
出演 松田龍平 宮崎あおい
制作 2013年 日本
その1編1編をくみ上げていく行為は、正に編む行為だと言える
(2015年07月08日更新)
- 僕は大阪は淀川区という所で生まれた。 淀川という名前から分かる様に川がある町で、僕は社会に出るまで川の近くで過ごした。 家の側には淀川の分流の神崎川という川が流れていて、その川の近くには工場が立ち並ぶ関係から、いつも工場のすえた臭いがしていた。 臭いだけではなく、流れの遅い川だったこともあって、色んな廃棄物が川に浮かんで、決して綺麗とはいえない景色があった。 小学校の頃、僕が持っていた楽しみに、当時大人気だった少年ジャンプを読むというものがあった。 日曜日の、学校の休みの日に、一人幼稚園の前の花壇に腰掛けて、菓子パンを食べながらジャンプを読むのが楽しみで、そこで一時間じっくりと漫画を読み、家に帰るというようなことをやっていた。 たまに気分を変えたいときは、自転車で西中島の方面から淀川の河川敷まで走って、土手で寝そべって漫画を読んだりもしていた。 あの頃の僕は自転車さえあればどこにでも行けると思っていた。 そんな少年時代を過ごしたせいか、僕は川に特別な思いを持っていて、同時に川にはあるイメージを持っている。 一つは静かな、すえたにおいのする、淀んだ川で、もう一つは海に向かって汚れたものを運ぶ川である。 汚れたものとは比ゆ的な意味合いで、だけど決してゴミや廃棄物だけでもなく、川はその流れの中に、人間の欲やエゴのようなものを乗せているのではないかと考えていた。 何故そんなイメージを持っているのかは良く分からないが、川は最後海に向かって流れていくので、周りにあるいろいろな負の電荷を帯びたものを運び、海で浄化するといったイメージをいつの間にか持ってしまったのかもしれない。 そう気づいたのは、僕が自転車からバイクに乗り換え、行動範囲が広がることで見つけたある公園の噴水に、なぜか美しい清らかなものを感じたからで、その時に僕は川に対しあまり良いイメージを持っていないことに気づいた。 40年を過ぎて川を見て思うのは、絶えず流れを続けるつつましい姿に、あの頃よりは良い印象を持っている。 単純に昔よりも川がきれいになったからもあるのだろうが、愛知県に移り住み、自分自身の生き方自体が変わったのが大きな理由かもしれない。 誰のエッセイだったか忘れてしまったが、川の偉い所ということで、川は時に荒ぶれて、時に姿を消すこともあるが、しかし川はとうとうと同じ流れを保ち続け、引き返すことなく、やがて大きな海に出ていく所だという一節があった。 それは人の営みに似ている。 人は生きるために仕事を続けて、引き返すことなく、立ち止まらずにただまっすぐに進み、やがて大きな大海に身を預ける。 今の僕は、川で言うところの急流なのか、濁流なのかは分からないが、ただまっすぐに進み続けて、やがて大きな海への融合を目指している。 その一途さを持っていればいつか大きな志を持つこともできるかもしれないし、もっと大きなステージに泳ぎだすこともできるのかもしれないが、今の僕は、永遠も半ばを過ぎて未だに狭い川を抜け出せないでいる感じである。 こうして自分の事をたまに書いていて思うのだが、僕はどうもある時から一歩も前に進んでいない気がしている。 正確に言うと結婚をして子どもが生まれ、その子の成長を願う毎日があるのだが、しかし、どこかで何かを置いてきた感じがしてしょうがない。 世の中のおじさんというものは皆そうなのかもしれないが、人生の折り返しを走っている事への焦りみたいなものがあって、誰に何かを言われたわけでもなく、一人で空回りしているだけかもしれないのだが、僕は多くの場所に出向き、多くの物事を知るようになったが、渦潮の中でくるくると回る落ち葉のように、ただ同じ場所をぐるぐると回っているだけのような気がしてならない。 もしくは汚れた川のヘドロが、僕の乗る舟を止めてしまっているのかもしれない。 川の流れはとうとうと流れていくはずなので、いつかその拘泥から抜け出さなければならないのだが、僕はそんな簡単なこともできなくなってしまったのかもしれない。 そんな感傷的な前置きで始まる今回の映画紹介は「舟を編む」である。 映画は大手出版社の出す辞書を巡る人間像なのだが、辞書を作成する行為を「編む」という表現を使うことに美しさを感じる。 辞典というものはとにかく時間がかかる。しかも手間の割には儲からない。 なので、大手しか作れないのが辞書なのだが、その分辞書を作るということは一つのステータスだといえる。 辞書は十数年の年月をかけて推敲され、やがて日の目を見るのだが、その1編1編をくみ上げていく行為は、正に編む行為だと言える。 映画の青年は、ただ一途に言葉を拾い集めていく。 その真摯な姿に、川の流れを思い浮かべる。 僕は舟になり、川を上手く渡ろうと考える。 しかし、本当は川の流れに身を委ねる事が大事で、どう渡るかではない。 そうやって川の流れに身を任せ、一途に何かを追求し、一途に生きていく姿には、欲のない、人としての清らかな姿を見た気がする。 何も欲しがらず、与えず、ただ黙々と生を全うする生き方というのも、悪くないかもしれない。 P.S とてもやさしい気持ちになれる映画ですが、観終わった後にこのエッセイを書こうと思ったにも拘わらず、2週間近く何度も書き直しをしました。 何故だろうと考えると、色んな見方ができる映画で、且つ心の中に入り込んでくる映画なのかもしれません。 何だか生活に疲れた時に見ると、少し心が和らぐ気がします。 とても良い題材の映画でした。
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