バタフライ・エフェクト

監督 エリック・ブレス 、 J・マッキー・グラバー
出演 アシュトン・カッチャー
制作 2004年アメリカ

ブラジルで一羽の蝶が起こす羽の動きが、アメリカでハリケーンを起こしえるか?

(2015年04月07日更新)

  • 最近車を走らせている時に、道行くかわいい子を見かけると、きっかけ作りで軽く当ててみようと思うことがある。 実際にやったら犯罪なのでやらないのだが、ここで声をかけなければこの子とは一生会えないと思うと、せめて声でもかけてみようかしらんと思うのだが、同じ車中に嫁も子どもも同席しているので、実際には何も無かったように過ごしている。 まあ、そんなアホな毎日を送っている人も少ないだろうが、きっかけというものはとても大事で、あの時にあの出来事が無ければ、今の自分はいないだろう、みたいな話を何かを成し遂げたような人から聞くことがある。 人間である以上、必ず人と接して生きているわけで、自分の進路を決めてしまうような大きな一撃を受けて、自らの歩む道を決めるということは珍しいことではないのかもしれないが、とは言えそうやって人に影響を与えて生きていく人が、果たして世の中にどれだけいるのだろうか? 僕もそろそろ人に影響を与えなければいけない年齢になってきたので、たまにそんなことを考えるのだが、しかしそんなたいしたことをやってきたわけではないので、なかなかしたり顔で生き方を説くような真似はできない。 しかし、僕は僕自身多くの選択をして、今この場所にいるのだから、たぶん知らぬうちに誰かに影響されているのだとは思うわけである。 何でこんなことを書くのかというと、最近『年を取った人の意見を聞こう』みたいな話を耳にすることがあって、そもそも年を取っているからといって、若者よりも何か特別な経験を持っているのかといわれれば大体そんなことは無くて、ただ日々平々凡々生きている人がほとんどなので、まあ、こういった風潮に対して何とはなくもの申したくなるわけである。 かくいう僕も、平々凡々組なので、人のことは言えないのだが、結局のところ人は人から学ぶことは間違いは無いのだが、変化も無く生きてきた人が、何かを若者に伝えるというのも、なんだかおこがましいような気になってしまうのである。 しかし、経験のために奇抜な変化を自らに課すことは、沢山のローンを抱える我が身としてはなかなかに難しいのだが、平々凡々の中にある、えいやあと思い切る場面というのは、少なからずあるものである。 そうやって小さい決断の一つ一つを精査して考えていくと、例えばあの時会社を思い切って辞めていたらどうなっていたのだろうとか、例えばあの時大学に行くのを辞めていたら、僕はこの場所にいないのだと思うと、なんだか不思議な感じがする。 昔だったら、職業も住む所も決められて一生そこを抜け出せない、というような暮らしがあったのかもしれないが、今の社会は裕福で、遥かに自由だからそんなことを思うのかも知れないが、今の自分というものに意味を持たせようとすると、運命だのなんだのと、あるようで存在しない力を感じてしまいやや宗教チックな感じなので、ちょっとしんどいなあなんてことを思う。 しかし、若いころに思い描いた自分の姿から比べてみると、今の自分は自分が望んだ姿なんじゃないかなあとも思うわけである。 何故そんなことを思うのかというと、最近読んだ本で、自分の歴史というものを書いていくと、これからの自分の姿が見えるとあったので、試しに書いてみたからだ。 40代という年齢は何かと中途半端で、将来の自分の想像ができながら、まだ何か新しいものが動き出すような期待感も持っている。 現実社会ではそれなりの地位があって、しかし、それでも特別ではないので、どこかに鬱屈とした不満がある。 そんな、なにやらぼんやりしたものを形にする上でも、自分のことを再度見直してみようということなのだが、これが意外と考えさせられることが多いので、これを読んだ方も、ご自身の年齢にかかわらず試してみてください。 とまあ、最近のやや不安定な自分の精神についてはさておいて、話は急に変わるのだが、バタフライ効果という言葉をご存知だろうか? 蝶々のように舞う、何か華麗な必殺技に聞こえるが、これはカオス力学という数学的な用語である。 学校で習った言葉ではないのでネットで調べてみると、初期状態に対する差が、時間の経過によって大きな差に変わるという、ややSFチックな内容だが、れっきとした方程式に基づく理論である。 一般的な説明では、ブラジルで一羽の蝶が起こす羽の動きが、アメリカでハリケーンを起こしえるか?という、小さな作用が、遠くの場所の作用に影響を及ぼすか?という問いかけに対しての理論だそうで、初期値の変数をパラーメータとしていくつか与えると、最終的に予想に反する答えが出される。 そんなアホなな話なのだが、実際に差分方程式で初期状態の変数の値を変化させた場合に、確率論的なランダムな振る舞いを見せ、それが計算の中で時に大きな差異になるそうで、実際に数式を眺めてみるとやや不思議な感じがする。 この理論はSFと親和性が高く、タイムパラドックスにも似た感じがするからか、多くの物語に登場し、用語としても定着している。 多分小さな変化がやがて大きなうねりになるという事に、多くの人がロマンを感じるからではないだろうか? もしあの時こうしていれば、という思いから、小さな変化を見逃さないことが、未来の自分を創る大きな一歩になるとも言い換えられるとすれば、なかなかに希望のある話ではある。 ここでこうしておかなければ、未来の自分は後悔するだろう。 この小さな違いを見逃すと、後で大きな負荷となって自分に降りかかる。 こういった日々の出来事を見逃さない力が、自分を大きく育て、人を育てることにつながり、結果として未来を形作っていくのかもしれない。 ということで今回も前置きが長いが、映画紹介は「バタフライ・エフェクト」である。 選択を誤った未来を正すために、特殊な能力を持った青年が、何度も未来を変えるための挑戦を繰り返す物語である。 内容は実にシンプルで、愛する人を救うために、まるでゲームのリセットのように人生を繰り返し、自分の間違えたところに戻り、やがて全てが丸く収まるよう、全てを自分が背負い、未来の愛する人を守るという、ストーリー的には俗っぽい話ではある。 映画のように、幾多ものやり直しをする人生は、まるでRPGのゲームのようでどうかとは思うのだが、ちょっとしたすれ違いや、間違いに気づくことで、未来をもう少し明るい方向に導くことができるかもしれないと考えると、少しだけ救われる思いがする。 そして間違いに気づいた時は、全力で間違いを正すよう行動することが大切で、その微調整を繰り返すことが、やがて自分を取り巻く環境が大きく変わっていくと考えると、バタフライ効果という言葉が生きてくる気がする。 例えば相手と意見が合わなくても、その未来を正しいものに導くためにも、相手と丁々発止やりあってでも、変化を与えていく必要があるのかもしれない。 蝶々(ちょうちょう:〔英〕バタフライ)だけに。 お後がよろしいようで。
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