俺たちに明日はない

監督 アーサー・ペン
出演 ウォーレン・ベイティ フェイ・ダナウェイ
制作 1967年アメリカ

ハッピーエンドで終わらない映画

(2015年01月07日更新)

  • 年末から年明けにかけてよくテレビを観ていて、CMでアイドルと携帯ゲームが目立つなあと思った。 実際に多いのだとは思うのだが、多分普段あまりCMを見ないので、少し前との違いに気づいたのかもしれない。 特に携帯ゲームCMは無料を謳うものが多いため、誰に向けて宣伝しているのか一瞬わからない。 CMも随分変わったなあと、昔少しだけ広告を勉強した身で感じたわけだが、これも現代なのかもしれない。 最近の日本の最強の輸出品は、アニメらしい。 過去にも任天堂が世界を席巻していた時代にゲーム機が日本最大の輸出品などと言われていたが、ゲーム機は先進国を中心にシェアを増やしていたが、アニメについては全世界でブームを作っている。 これぞ日本スタンダードの世界基準の文化であり、日本が誇るカルチャーである。 現在のブームの根底にある特徴は、「オタク文化」である。 オタクが世界に発信され、クールだと評され、世界中で日本のファンが増えている。 ついには政府も乗り出して、クールジャパンの普及に積極的に勤めている。 嫌な感じである。 何が嫌な感じかというと、社会が認める模範的な文化ほどつまらないものはないからである。 雑多なものは排除されて、健全なものだけが良質なものとされて前面に出てくるような文化は、もはや文化とは言えない気がする。 僕が思う文化とは、もっと鬱屈とした社会へのエネルギーみたいなものが集まって築かれる、やや負のオーラみたいなものがある方が、健全な気がするからである。 しかし、ここまで認知された文化となれば、社会の側の人間が寄ってくるのも仕方がないものかもしれない。 人が集まるものには金の香りがするものである。 もっというと、漫画やゲームやアイドルというコンテンツ自体が清濁併せ持つ度量の深さもあるので、迎合する部分はそれはそれとして亜流の文化も別に作られていくのかもしれないなあ、なんてことも考えたりするわけである。 映画のエッセイでアニメやアイドルの話をしていてもしょうがないので、映画の話を始めると、映画の世界でも過去クールな文化変革の分岐点があった。 ニューシネマと言われる映画が作られた時代で、1960年代後半のアメリカを中心に起こったムーブメントに端を発し、当時の若者の怒れる心情を表すかのような映画が数多く作られる。 この頃のアメリカはベトナムで泥沼の戦争を行っており、ヒッピー文化が世界を駆け巡り、既成概念を崩す動きが起こっていた。 ビートニクと呼ばれる若者も出始め、ジャック・ケルアックやアレン・ギンズバーグ、ウィリアム・バロウズなどの作家や詩人がその思想を先導していた。 その思想には、ドラッグや奔放な性など、社会に交わらない生き方が、まるで神から与えられた言葉のように、キラキラと輝いていたのかもしれない。 この時代に映画界でも、既成概念を壊していくような、ハッピーエンドで終わらない映画が現れる。 それが「俺たちに明日はない」である。 映画では無軌道で、享楽的な若者が描かれ、暴力と性が禍々しく描かれる。 そして決してハッピーエンドではない、有名なラストシーン。 この映画に詰められた衝撃は、後の映画に大きく影響していく。 僕はこの映画を最初見た学生時代には、面白い映画だが随分と救いのない映画だなあと思ったのだが、先日観た時はエネルギーがあふれる映画だと感じた。 何者にもとらわれない生き方に対し、少しの爽やかささえ感じてしまった。 多分、最初観た時の自分と今の自分とで、社会に対する考え方が変わっているからだと思うのだが、流石に40歳を過ぎて社会への反抗はないのだが、社会の常識みたいなものを崩してくれる何かについて、期待している部分があるのかもしれないなあと思った。 世界でアニメが席巻する中で、コスプレイヤーが街を闊歩し、二次元の世界をクールという若い人たちを見かける時に、そこには自分の姿しかない気がして、社会に対してただ見ないふりをしているだけで、なんだか気持ちの悪い感覚を覚えてしまう。 もちろんそういったことをするのは愚かだと言っているのではなく、寧ろ楽しそうなので、僕に勇気があればやってみたいくらいなのだが、これが文化であると言われると、40年生きた身からすると、「えっ?そうなの」と思ってしまうというだけの話である。 映画「俺たちに明日はない」が持つエネルギーのようなものを、時間が過ぎたあとも感じ取れるような、時代と共に息をしている文化というものの方が、僕は人間らしくていいなあ、なんて思うわけである。 勿論まるで可愛い子の品評会のようなアイドルグループも、携帯でお手軽にできる携帯ゲームも文化である。 しかしその文化はまるで、現実ではないどこか平面世界や個人の頭の中だけで起こっているような気がしてしまう。 もしかしたら、いつか僕たちは地球で血を流しながら生まれたことも忘れて、思考と平面の世界で生きる生物になってしまうかもしれない。 その時に僕たちは社会生活や、肉体の痛みや、感情さえも失っているのかもしれないと思うと、少しだけ怖く感じてしまう。
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