愛を読むひと

監督 スティーヴン・ダルドリー
出演 ケイト・ウィンスレット レイフ・ファインズ
制作 2008年アメリカ=ドイツ

守らなければならないものがあることが、人を強くするのかもしれない

(2012年01月01日更新)

  • エレファントカシマシの歌、「ドビッシャー男」に「武士は食わねど高楊枝」と言う言葉が出てくる。 これは、武士たる者は、例え生活に窮して食事を満足に出来ない状況にあったとしても、満腹を装って楊枝を使う、という意味で、端的な言い回しだと「やせ我慢」であろうか。 この言葉は、武士の精神の高潔さなどの例えとしてよく聞かれるが、言葉が生まれた背景には、武士階級の経済に対する無頓着さが深く関係している。 江戸時代金貸しや商人など、経済活動に従事する人間は、身分制度のヒエラルキーで最低のランクに位置づけられていた。 そもそも武士は金銭を卑しいものとして見る傾向があり、それを扱うものは下賤の民と見ていたのである。 しかし、戦乱の世ならば需要のある武士も、平和の世ならば、ただの木偶にも成りうる。 武士のような綺麗事の多い組織を抱えていたものだから、徳川の治世も5代綱吉の頃には家康が貯めた金銀も底を付き、財政難が始まっていたようである。 市政の人々の目から見ると、武士はただ威張っているだけの金儲けもできぬ役たたずということになってしまうので、それではいかんということで、武士の高潔な精神を表すために、このような言葉が生まれたのではないだろうか? 話しは変わるが、現代の若者の中には、パラサイト・シングルと呼ばれる、基礎的生活条件を親に依存している人がいるようだ。 僕なんかは実家が狭く大学までは実家にいたが、それ以降は何となく家に居るなよ的なムードがあって自立の決意なく家を出てしまったのだが、それでも一人暮らしを始めた頃は開放感があってそれなりに楽しかったのを覚えている。 自立しないで実家に居座る人なんかを見ると、ひとり暮らしも良いもんだよとやや知った風に言ったりもするのだが、金銭的な余裕がない人が社会の中で暮らすのはやっぱり大変なので、齧れるものはすねでもなんでもかじったほうが良いかなあ、という気はする。 世の中楽しいだけでは成り立っていかないので援助は必要かな?とは思う。 長引く不景気で、昔みたいに家を出て自立することが社会人としての第一歩という考えもいささか古かろう。 とは言え家に引きこもったりしてしまうと、未婚率は上がるし実業率が増えてしまうのも問題なので、市区町村に何人までは親と同居OKみたいな感じにしてもらうと社会的には助かるのかもしれない。 夢を追う若者は、基礎的生活の援助が無くなってしまうと夢をあきらめてしまい、社会に希望が持てなくなってしまうのもどうかとは思うので、夢を実現させる企画書みたいなものを上げさせて、一定以上の賛同を得られれば自立しなくてもよいみたいなことにすれば、社会に出た時のプレゼンの能力も付くので良いのではないか。 なかなかいいアイデアだと思ったが、よく考えればそんな企画書を出す能力があれば、そもそも社会に出ながら夢を叶える努力をするかと思い、自分の不明を恥じいるばかりである。 映画「愛を読むひと」は原作がベストセラー小説ということもあってか、物語もしっかりして時間を感じずに楽しめる映画だった。 このサイトの本意ではないが、やや内容に触れるとケイト演じる主人公ハンナは、社会の中でただ生きるために行なってきた事に対し断罪され、刑務所に服役する。 ハンナはただ自分が隠し持つ秘密を守るため、罪に対して不利な供述さえ受け入れてしまう。 映画の中の彼女は謎に満ち、そして彼女を愛した男は純粋で切ない。 主人公の男性に自らを投影した時、女性の体に溺れた自分やその女性を特に理由もなくただ好きだったことなど、男なら誰しもがあるであろう経験が蘇り何だか気恥ずかしい気分にもさせられる。 物語は自分とは程遠くても、感じられるリアルさが映画の中で臭気を放ち、主人公の若者の中に、身を見出す度に、何やら懐かしい思いや軽く胸が締め付けられる思いがする。 作者はたぶん男なのだと直感で感じた。 ハンナが隠した秘密は他人の目から見ると「なんだそんなこと」と思うような事だ。 だけどそれは僕が彼女よりも満たされているからで、彼女の側に立って見たときに、その秘密を死んでも隠さなければいけないという気持ちを持つのかもしれない。 それは武士が金銭に汲々としてでも仁の心や義を通すため日々武芸の鍛錬を行い、金銭や欲に頓着する精神に落ちることを避けたのと同じように、彼女にとってはどうしても守らなければならないプライドだったのかもしれない。 絶対に守らなければならないものがあることが人を強くするのかもしれない。 そして自立することで、人は守らなければならないものを持つことができる気がする。 この映画のように守らなければならないものを守り続けることはリスクが伴い、人に庇護された上に持つ守るべきものは所詮自分のものでは無いような気がするからである。 映画の中の彼女を見ると自然にそう思えて、大した矜持も持たずに月の給料が上がらないという小さな事に愚痴を言っている自分が少し恥ずかしくなった。 この映画で主演のケイト・ウィンスレットは念願のアカデミーに輝いています。 良い映画でした。
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