リンドバーグ  グルメリポート

営業の真髄

(2015年06月10日更新)

  • グルメリポーターがテレビで話しているのを聞いて、どんな仕事にもテクニックというものがあるものだと感心したのだが、店の味を伝えるときに、おいしいとか斬新とか、抽象的な表現ではなく具体的な表現を使うことが大事だそうだ。 どういうことかというと、例えば日曜の情報番組で魚料理が出るとする。 煮つけかなんかで味付けは甘辛い。 夏の炎天下で、日曜日とは言え昼間には贅沢な一品である。 「何だかビールが恋しくなりましたわ」 この言葉には相当の臨場感がある。 テレビを見ている大部分はサラリーマンのお父さんで、嫁に文句を言われながらもだらだらと過ごしている。 そこにこの台詞である。 団扇を仰ぐ手を休めて、生唾ごっくんである。 世の中には色んなプロがいて、色々考えているものだとへんな感心をしてしまった。 そもそも日本には美味いものが溢れている。 溢れているにも拘わらず、まだ上手いものを求めているのか、グルメ番組はなかなか絶滅しない。 僕なんかは美味そうなものをテレビで見せられても特に感想も無いのだが、この話を聞いて以来、グルメリポーターは興味を持って見てしまう。 これもテレビで言っていたのだが、不味い料理を出されたときは三者三様色んな言い回しが合って、 「好きな人にはたまらないでしょうね」 「今まで味わったことの無い味ですね」 「味のレボリューションやあ」 など、決して不味いということを言わずに、婉曲にそのトリッキーさを伝えるということを行う。 不味いものを嘘で美味いとは言わないそうである。 また、いかに商品がおいしく見えるかの工夫も怠らず、例えば汗をわざと拭かずに、夢中で箸を進めてみたり、料理の見た目を崩さないように、カメラワークに合わせて箸を入れる位置を決めたり、または器を両手で添えるように持つというのもあった。 なかなかのアピールである。 こういった行動を考えたときに似ているなあと思うのが広告の世界である。 広告はある商品に対し、目を引くコピーを考え、レイアウトやデザインを考える。 正にグルメリポーターは、世の中に食のコピーを考え、見せ方やタイミングを計りながら、言葉をメイクしていく。 違いは味や店はずっと残るが、広告は一過性のものであるくらいだろうか。 本当に大変な商売だなあと思うわけである。 日々行う商業活動の中で、特に営業を推し進める人はとかくに感じていることなのかもしれないのだが、心底売り込む商品に心酔していなくても、さもそれがすばらしいものであるかのアピールをしていかなければならない。 かくゆう僕も若い頃に長らく営業をやっていたので、この感覚は痛いほど分かる。 しかし売る側の人間がまあまあと思っていても、売る時に「まあまあです」という人はいないのであって、その商品の良さをことさらアピールする。 時には嘘をつくこともあるだろう。 しかし、学ぶべきは広告の世界もグルメリポーターも、本来あるべきその商品に対する感情に嘘はついていないことである。 広告は言葉の世界なので、その商品を感情ではなく感性で表現する。 グルメリポートも、不味いときの表現を変えるだけで、不味いものを美味いとは言わない。 物を売る際にここを踏み間違えてしまうと、相手にその売り気が見透かされてしまい、相手も嫌なら自分自身もストレスになるだろう。 世の中の大半の仕事が営業であるという側面を考えた場合、大事なのは嘘ではなく、以下に物事をよく話すか、という能力のような気がする。 最近テレビで毒舌タレントがもてはやされているが、相手の悪さを引き立てるのではなく、それとは真逆の良さを作り出す能力が必要なのではないかなあなんてことを感じるわけである。 グルメリポートに営業の真髄を見たような気がする。
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