不貞  インコ

動物園の悲哀

(2015年03月30日更新)

  • 昔営業時代にあるお宅にご訪問させていただいた時に、家の中をインコが放し飼いになっていたのを見て驚いたことがある。 放し飼いといっても、よく漫画で金持ちが飼っているようなダルマインコみたいな大きな種類のものではなく、小さなセキセイインコで、それこそ普通の民家で飼われているものである。 放し飼いなんかにしたらどこかに飛んで逃げてしまうのではないか?という疑問が当然起こるのだが、その通りで、そのままだと逃げてしまうので、羽を切って放し飼いにしているのである。 なんて残酷な、と思うのかもしれないが、羽を切るといっても羽の下の方を少し切る程度なので、全く飛べないわけではなく、遠くにまで飛べない程度の話である。 ゲージの中で飼うのとどちらが幸せか?というレベルの話なので、そもそも籠の中はかわいそうなら鳥を飼わなければ良いのだが、実際は鳥に聞いてみなければ幸せかどうかは分からない。 飛ぶ自由を奪われた上での自由なので、僕が鳥ならばなんだかやるせない気持ちにはなってしまいそうではある。 とは言いながら、本エッセイ内の「セキセイインコ」でも書いたが、僕の子どもの頃、我が家でも同じようにインコを放し飼いで飼っていた。 もう一度同じことを書くが、勿論先に書いたようなダルマインコではなく、同じように小型のセキセイインコを、狭い市営住宅で放し飼いで飼っていた。 オヤジが飛ばないように羽にハサミを入れて飼っていたので、学校から家に帰ると、部屋の中のどこにいるかわからないインコを踏まないようにするのにいつも苦労をしたものである。 冒頭に驚いたと書いたのは、インコのトリッキーな飼い方に驚いたのではなく、同じインコの飼い方をした人に初めて会ったので驚いたのである。 話は少し変わるが僕は動物園があまり好きではない。 まず檻の中で飼われていて可愛そうだなあと思うのと、同時に餌だけもらって悠々と生き延びている姿に、何となく無気力さを感じ、しっかりせえよという気持ちにさせられる。 完全に人間のエゴで檻の中にいるだけなのに、飛んだとばっちりではあるが、もっと積極的に生きろよ、と熱い思いを持ってしまう。 何かで読んだのだが、檻の中で生まれた動物は、檻を外しても外に向かって行こうとしないそうだ。 檻の中が世界の全てと考えてしまうのか、それともただ生きるとは檻の中だけにあると思い込んでいるのか? なんとなくだが悲哀を感じてしまう話ではある。 そんなことを考えてしまうのは、人間の社会自体が大きな檻の中のようだからなのかもしれない。 毎日会社に行って、給金のためだけのつまらない仕事をこなして、わずかばかりの給料が上がったと小さなことで一喜一憂する、そんな生活と、目の前でうつろな目をしている動物と何が違うのだろうか?などとどこかで感じてしまい、怒りや悲しみを持ってしまうのかもしれない。 そんな、2時間サスペンスの殺人の動機のような感情はさておき、鳥の話に戻すと、これも昔々だが住宅の階段を歩いていると、鳥のひなが死にかけているのを見つけた。 何でこんな、市営住宅の3階にひながいるのか不思議だったが、とにかく家に連れ帰り暇そうなオヤジに渡すと、見事に数日で元気にさせた。 流石に冒頭で書いた様なトリッキーな鳥の育て方を実践しただけあって、なかなかのブリーダーぶりだと感心したのだが、もっと感心したのは、数日たって、ひなが元気になったので離してやれと言ってきたのに驚いた。 てっきりまた羽を切って飼い始めるのだと思ったのだが、言うとおりに離してやると、数日後に親鳥を連れてその雛が部屋のベランダにやってきた。 正に鳥の恩返し的な話で、親を連れて感謝でも言いに来たのだろうか?子どもながらに、「ああいいことをしたなあ」と思ったものである。 世の中にはこういう話はよくあって、瀕死の動物を動物園に入れて、感知するまで育て、治ったらゆっくり自然に返す訓練をする。 自然に帰ったあとでもその時に人間に治してもらったという記憶はちゃんと動物にもあって、例えばアフリカで人間に育てられたゴリラなんかは、助けてくれた飼育員と抱き合ってその再会を喜んだみたいな話があるようだ。 こういった話を聞いたり体験したりすると、確かに人間のエゴによって動物が捉えられ、飼育されるのかもしれないが、同時に人間は飼育することで、その動物を救うこともできると実感する。 動物園は言わば見世物の場ではなく、飼育を通して動物が何であるかを学び、そしてその動物の生存に我々も動物であると認識する場所だといえる。 インコの羽を切る行為は決して褒められたものではないが、しかしその飼育の力によって他の命を救うことに成功している。 その一点を考えても、人は多くのものを奪うと同時に多くのものを与えているのである。 ちょっと真面目なことを書きすぎたので最後にしょうもないことを書くと、ひなの頃から大事に育てたためか良く慣れて、部屋の中でもオヤジの肩から離れようとしなかったインコが、ふとした拍子に逃げてベランダから飛び去ってしまった。 羽を切っているので遠くには飛んでいかないはずと、下の公園なんかを必死に探したようだがどこにもいない。 諦めてオヤジが玄関口で「かわいそうに。外の景色見て驚いて飛んでもうたんやろ」と行った時は流石に、ただ逃げただけちゃうのんと思ってしまった。 自由になりたくない鳥は、多分一羽もいない。
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