てふてふ  不貞

一夫一婦制と一夫多妻制

(2015年02月13日更新)

  • 昭和11年の話なので第二次世界大戦もまだ起きていないくらい前の話なのだが、阿部定事件という女性が男性の男性器を切り落として、且つ首を締めて殺害するという事件が起きた。 事件の顛末は映画「愛のコリーダ」でも描かれているが、動機は変質的な愛情によるものだった。 最近中国でも同様の事件が起きたそうで、不倫が過ぎて女房にイチモツを切り落とされた男性が、運良く手術で治りはしたのに、再度浮気がバレて入院先でも切り落とされるという、男の僕はややゾッとするような事件なのだが、こちらは愛情というより、女性の怒りによるもののようだ。 女性も本当に怖くなったものだと思うのだが、そもそもは男の浮気が一番問題なのは言うまでもない。 こういった話の教訓としては、不倫はいかんということなのだろうが、それでも同様の不貞行為はなかなかは無くならない。 そもそも、男性と女性しか性別が無い人類が、倫理観だけで不貞行為を禁止するということ自体が難しいのではないか、と声を上げて叫びたい所だが、中年男性がこんなことを書くのも気色が悪いので、このへんでやめておくとして、そもそもなぜ一夫一婦制でないといけないのかを考えていこうと思う。 この問いに対しての答えは実にシンプルで、基本的に一夫多妻制は、婚姻という契約で、男性が女性の生活を補償する考えがあるからで、ある種男性社会が生み出した制度ではないかと考えられる。 そもそも女性は多くの男性を所有したいかと言うと、そんな人は多分少数で、女性の所有欲は多分男性よりも小さいのは、そんなに想像しにくい話ではない。 そのほかに宗教的な意図によって一夫多妻を行うこともあるのかもしれない。 例えばイスラム教を支持する国では4人まで妻に迎え入れることを可としている場合があるようで、これには戦争等で夫を失った妻に対する保護の目的もあるようだ。 中国でも少し前までは一夫多妻制があったようで、理由はイスラムと同じく女性の生活保護もあるようである。 この辺は映画「紅夢」にも詳しいので、このサイト内の映画エッセイ「紅夢」をご一読ください。(宣伝) ここまで読んでいただいてもわかるように、基本的に女性保護とは書いてはいるが、多くは男性優位社会の中の、女性蔑視が感じられなくもない。 無論イスラム国家の場合は、妻を平等に扱う規定もあるようだが、しかし、先進国の女性からすれば、そんなことを法制化するのは大きなお世話以外何ものでもない。 自立した女性が働くことのできる環境があれば、「女性の生活を補償」するための一夫多妻などはちゃんちゃらおかしい話ではある。 では逆に多夫一婦制はないのか?といえばイヌイットにはそういう風習があるそうで、狩りに出る夫に変わって、女性を守る意味において、もうひとりの旦那を用意するということが理由だそうだ。 この話には少しだけ女性への配慮が感じられる。 また、チベットにいる部族などは、妻が土地を所有する家の兄弟全員と婚姻し、土地の分裂をさせないようにすることがあるらしい。 しかし、そもそもが土地を守ることを基盤に制度を考えたように感じられるので、多夫一婦性も同じように、若干の女性蔑視は否めない。 結局は一夫一婦制度というものは、男性と女性が同列な社会だからこその考えであり、社会制度や倫理という、生活環境や意識が平等だからこそ生まれた制度と言えるのである。 そういった意味では、やや話が大きくなるが、不貞行為は、平等な社会を壊す行為ということと言えなくも無いのだが、しかしもう一方で人間は、根源的に快楽を求める生き物でもある。 沢山の女性とお近づきになりたいと思うのは、男性の絶滅しない根源的な欲求である。 これは生物的快楽とも言われ、要は食べ物を食べたいと思うことや性欲求のように、動物の根源的な欲求であると考えると、少し行き過ぎがあっても不思議では無いのかもしれない。 快楽の歯止めは倫理観や道徳観しかないのだが、それだけではどうにもおぼつかないので、人は法を作り、宗教を作る。 しかし、その程度ではなかなか快楽の歯止めは難しいものなので、不貞行為は世の中から消えないのかもしれない。 とここまで書いて最後に否定するようなことを書くのだが、最近の若い人は性交渉を嫌うらしい。 あるアンケートによると性交渉自体を汚らわしいと感じる人がいるらしく、彼らは快楽をどこで解消しているのか不思議になるのだが、これを説明するのには、「報酬的な快楽」が関係している。 報酬的快楽とはかいつまんでいうと、努力や労働によって得られる対価に対する快楽で、例えばランナーが走っている時に感じる快楽はランナーズハイと呼ばれ、ドーパミンによって脳が感じる報酬快楽である。 実はこの報酬快楽は生物的快楽より高い快楽を得ることができるらしく、ゲームや様々なものがあふれる現代に置いては、自分の趣味による快楽が、女性の魅力より優ってしまっているのかもしれない。 ひょっとしたら21世紀は不貞などよりも、不交渉が深刻な問題となるのかもしれない。 そうなると一部の生物的快楽を求める人だけが多くの女性を妻に抱える、新しいカタチの一夫多妻制の時代が来るかもしれない。 そんなわけないか。
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