ディズニーランド  ドンキホーテ

断捨離

(2014年12月12日更新)

  • 突然だが、僕はドン・キホーテが好きだ。 もちろんセルバンテスの方ではなく、ディスカウントショップの方である。 圧縮陳列とかいう方法で、商品棚を高い位置まで作って、店内をジャングルに見立て、まさに物欲に埋め尽くされたあの空間は、全てが無駄に感じて、大変楽しい。 店内の音楽や、宣伝で繰り返される店員と思しき声が、遠くで聞こえる亜熱帯の鳥の声のように耳障りで、ゆっくり買い物をさせる気がない所も、なんとも憎らしい。 何より、全体に感じられる胡散臭い作りが、本当にたまらない。 一方で、大型ショッピングモールというものがあまり好きではない。 まだ子どもも小さいので、仕方なく週末に出かけたりはするのだが、言ってもげんなりして帰ってしまう。 店の数に疲れてしまうのはもちろん、あれだけの商品が果たして必要なのだろうか?といつも疑問を感じてしまう。 ショッピングモールとドン・キホーテで何が違うかと言われると言葉につまるのだが、両者は明らかに違いがある。 それはモノの量にあるのではないかと思う。 確かに昔に比べてモノが溢れているように思える。 家の居間を見渡しても、空気清浄機、加湿器、パソコン、ゲーム機と家電をとってみても、昔は家に無かったものが今の我が家には置いてある。 冬になっても昔はこたつにテレビ、ストーブくらいだったのだが、今は、電気カーペット、温風機なんかもあって、本当にモノの種類が多くなっている。 何でこんなにモノが溢れているんだろうと考えると、単純に住んでいるのが先進国だからである。 先進国の全てが経済中心で社会が回っていて、当然に消費行動が盛んなので、企業は次々と新たな価値観を消費者に見せて、消費を促している。 消費者も、なんだか買わなきゃ損という気持ちも強くなり、購入をしてしまう。 悲しい性で、便利さを覚えたら、もうあとには戻れない。 消費傾向はどんどん上がり、街にショップが立ち並ぶ。 ショッピングモールなんかで、たくさんある消費物を見て回って、そして購入してそれを愉しむ。 人は消費をすることで喜びを感じ、消費するために働く。 決して何かの目的で生きているわけではなく、ただ消費するために生きている。 多分僕がショッピングモールでげんなりするのは、僕には物欲がさほどないからだと思う。 物欲がないので、商品がたくさん並ぶ空間にいても、特に何も感じずに、寧ろモノの多さに圧倒されてしまう。 ドン・キホーテも一緒じゃんって言う人もいるのかもしれないが、ドン・キホーテがいいなあと思うのは、こんなの誰が買うのだろう、というものが置いてあったりするところだと思う。 トイレの形のライターとか、変な形の座椅子とか。 店もエッチグッズと洗剤が近くに置かれていたり、雑多である。 それこそ売れるものはなんでも置いてしまえという、人間の物欲を大変刺激する店作りになっている。 要は「ああ、人の物欲ってこんななんだあ」という、物欲の擬似経験ができるところが好きなのかもしれない。 そんな消費傾向に一石を投じたのが、断捨離という考え方で、知らない人のために書くと、要は身の回りの物を一旦捨ててみなさいよ、というなかなか恐ろしい考え方で、急に世の中に広まった(と思う)。 元は仏教の教えのようだが、人は持つことで執着を覚え、欲が生まれ悪しき感情が生まれる。 持たざるものになれば、シンプルに人間本来の行き方ができるよ、みたいなことのようだが、詳しくは知らないのでネットなどで調べてみてください。 要は、物に執着してちゃダメよ、ということらしく、これは大消費時代の現代に於いて、アンチテーゼな内容と言える。 なかなか尖った意見だが、一理あるなあと思うのは、断捨離は物を買うために生きるという考え方を否定できるという点にある。 僕は経済学部出の癖に経済に疎くて、例えばデフレスパイラルという言葉があって、それはいかんというようなことを言うのだが、イマイチいかん理由が分からない。 国内需要が上がっても、単価が低いと儲けにならないので給料も少なくなる。 『この循環が続くことが悪の元凶負のデフレスパイラルである!』などと、なんだかB級スリラーの宣伝みたいなコピーを耳にするが、給料が低くても「別にモノが安いのであればいいけど?」とか思ってしまうのは僕だけだろうか? そもそも海外旅行とか、ブランドアイテムなんかにあまり興味がないので、給料が上がって物価が上がるのであれば、別に今のままでそんなに不満は無い。 多分経済優先主義者は「消費を促すことが国民を豊かにするのである」と言いたいのだろうが、一般人の生活水準では、現状維持を希望する人が一番多いように思われる。 断捨離が教えるように、消費することが全てじゃないよ、という考えが国民のそこかしこに生まれ始めていて、全体の幸せより、自分の幸せを希求する結果、少ない金額でも良いので、人間らしい生き方を希望する人が増えたということかもしれない。 ドン・キホーテには浪費と倹約という矛盾する二つのキーワードが店内にひしめいている。 このカオス感こそ、今の日本を表しているような気がする。 そろそろ経済優先の考えから、人間的生活が優先される生活を、なんてことを思いながら、使うのかわからない3枚刃の使い捨てカミソリをカゴに入れる。 息子が虫のおもちゃを欲しがる。 そんな消費を促すジャングルを抜けると、そこには黄色い窓の出口が待っている。 「またのお越しをお待ちしています」
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