カバディ  ディズニーランド

「働く」、ということが「人のためになる」ということ

(2014年10月11日更新)

  • ビジネス書のベストセラーにディズニー関連が多く入っていたので、読んだ方も多いと思うのだが、ディズニーランドを経営するオリエンタルランドの経営がとてもすごくて、あのクオリティーの高さにして、9割以上がバイトでまかなわれているそうだ。 別にバイトだから内容が悪いとは言わないが、一般的には高品質のサービスは、提供する側のプロ意識が無ければ保ち続けられないわけで、そのプロ意識を養うのが、金と地位であることは間違いない。 ディズニーランドを支えるスタッフのほとんどがバイトだというのであれば、そのどちらも与えずに、品質をキープしているという話のようである。 僕も何冊かの売れているビジネス書を読んだ。 内容は確かに素晴らしく、特に日本人特有のおもてなし精神が描かれていて、それをどうやってキャストと呼ばれるアルバイトの方たちに浸透させているかを読むにつれ、たいしたものだという感嘆の念と、これは性分だと思うのだが、少しの違和感を覚えた。 どこに違和感があるのかというと、これって結局バイトの使い捨てじゃない?とか思ってしまうのである。 よくアルバイト先でものすごい厳しいが、全然辞めないというような所がテレビとかで紹介されることがある。 朝礼なんかも大きな声で社訓を唱和なんかして、トイレから何からみんなで仲良く綺麗に掃除する、なんてのは当たり前で、すごいのになると店の外に出て、近所の掃除をしたりまでして、一種の宗教活動のように見えてしまう。 勘違いして欲しくないのだが、揶揄する気は全くなく、かくゆう僕も営業会社に勤務しているので、掃除こそしないが社訓の唱和位はしている身なので、別に統一感を出すための過剰演出に対し批判をしたいわけではない。 バイト側も受け入れている以上、それなりに身になることもあって、大変良い経験をしているんだろうとは思うのだが、しかし、その後ろ側で、悪いおっさん達がニヤニヤ笑って搾取している構図をどうしても想像してしまい、違和感を覚えてしまうのである。 夢に向かって頑張りたいと思う純粋な若者を、酸いも甘いも知った大人が喰い物にしているのではないかと、どうしてもやっかんで考えてしまうのである。 もともと日本人は個を主張することが苦手な人が多く、社会も個を主張する人を受け入れない節があるので、本来ならばもう少し高い報酬が必要にも拘らず、低く見積もられているケースがあるように思う。 そう言った勤め先に限って、仕事熱心で人に対して優しい人が多かったりするので、「人間関係が良い職場」となり、「自分を向上させる職場ではないか」と本人が錯覚してしまう。 結局得をしているのは、それを取り仕切る人間だけで、その構図を考えたときに拝金主義的な臭いを感じてしまい、あまり好きにはなれない。 本当のプロとは、やはり収入や地位を担保されてこそだと思うのである。 何だか否定的になってきたので慌ててフォローはするが、当たり前の話、そう言った環境であるからこそ、人は成長できる場合もあるのは事実で、結論としてはそこで働く人がどこに重点を置くかで、自分のためになるかどうかは決まるので、収入だけでは割り切れないのは当然である。 かの福沢諭吉翁も、「自分の力を発揮できるところに、運命は開ける」という言葉を残してらっしゃるように、企業体質は受け手によってその価値は違うので、報酬云々と言っている僕こそが拝金主義だろうと言われても反論の言葉もない。 最近よく思うのだが、働くことで何かを得るということはとても重要で、それは「お金」だけではなく、目に見えない自分自身の満足のようなものがないとダメなのではないかと思う。 それが無ければ、どんな良い環境でも良い結果にはならないと思う。 それはおそらく「働く」ということが「人のためになる」ということだからで、人のためになっていないと感じ始めると、働くことへの意欲の低下につながってしまうのではないだろうか。 話が大きくなるが、数年前からアフリカへの市場拡大が世界市場で話されるようになっているが、その流れに日本の企業が出遅れてしまっている。 アフリカへ進出する日本企業は全体の1割にも満たないらしく、アジアでは経済発展が著しい中国が、かなりの支援を行って、アフリカに太いパイプを持っているようだ。 しかし、中国からの援助を受けている側のアフリカではあまり評判がよろしくない。 理由は、中国のODAは中国人の技師を派遣し、中国の企業がインフラ整備などをすすめて開発を行っているため、アフリカの人たちは技術も学べなければ、お金も中国企業側に落ちていくため、支援というより搾取に写ってしまう。 実際にインドのように、特定分野での発展が目覚しいということもあまり聞かないので、支援が人間の発展に繋がっていないということなのだと思うが、まさしく「人のために働く」ことが失われ、搾取される構図になっているのではないかと思うわけである。 本当の支援というものは、金銭的に豊かになることだけではなく、豊かにするための技術や知識を得るということであって、人はそういった活動にこそ「働く」ことをしなければいけないし、企業や国は人間の発展に寄与できるよう、投資をすべきだと思う。 中国を企業としてみると、アフリカという従業員に対し、身にならないスキルと、安価な設定で利ざやを稼ぎ、最終的にその従業員自体が不要になると、あとは自分の力で何とかしてね、と放り出すようなものではないかと思う。 当然自己責任で、自分のスキルを上げていく努力は必要なのだが、それを企業が指し示すことはかなり重要だと思うわけである。 日本人はかつてアジアの国々で、そういった技術の伝播を積極的に行ってきた。 これは持論だが、日本人は「働く」ということは「人のためになること」である、と言うことを実はよく理解していたのではないかと思う。 僕はディズニーの運営自体はとても素晴らしいとは思うし、一般の企業に比べると遥かに良い待遇なのだろうとは思うのだが、サービスが良いのは従業員が働く目的を客に対して徹底できているからであって、9割が待遇が正社員よりも劣るバイトと聞いてしまうと、企業は従業員のためになる働く場を本当に提供できているのかと疑ってしまう。 本当は、働く人にもちゃんとためになるような環境を作ろうという精神を、全ての企業が持つことが、最終的に日本の発展に寄与するのだと思うのだが、いかがだろうか。
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