イルカ  カバディ

カバディカバディ

(2014年4月21日更新)

  • ミャンマーにチンロンという競技がある。 6人のプレイヤーが輪になって、ひたすら藤で編まれた球を落とさずに蹴ってその技術を見せ合うという、どちらかというと見世物的要素が高い競技だそうだ。 チンロンについてはエッセイサイト内にある映画エッセイのVIVAMOVIE「ミスティック・ボール」でも書いているので、よかったら読んでいただきたいのだが、正直この競技を観ていても、僕にはその魅力がさっぱりわからない。 マイナー競技だからとか、ボールを蹴るだけの単調な競技だからとかではなく、単純にやったことがないのでその魅力がわからないのである。 先日冬季オリンピックを見ていても感じたのだが、自分が昔熱心に練習していたモーグル競技なんかは思い入れがあって、世界的なアスリートたちの、カービングターンは採点が低いなあとか、ぶつぶつ言いながら熱を持って見ていたのだが、ジャンプ競技なんかは、僕のような雪国育ちでもない人間が、ちょっとスキーができるからとやれるレベルではないので、「へえ、スゴい飛ぶなあ」などと、鳥人間コンテストでも見ているような感想しか出てこない。 とは言え、ソチのリンクで気丈な華を咲かせた浅田選手のような、アスリートとしての熱を見せられると、流石に深い感動を覚えました。 技術云々については観る側にある程度の知識は必要だが、圧倒的な思いの前では、知識はなくともその凄さは伝わるということなのかもしれない。 スポーツというものはやはり素晴らしいものだなあ、とは思う。 僕のような運動神経の乏しい人間が話す、綺麗事のようなスポーツ観戦論はさておき、一般論として、スポーツも遊びもそうなんだろうが、やってみることでその魅力がわかるということが往々にしてあるように思う。 同時にそのスポーツをやることで、一流のアスリートの実力が分かることもある。 多分世の中の多くの人が思っているだろう、「カーリングって私でもできんじゃね」という考えも、実際にやってみたら、「おお、運動神経にぶそうなあの選手もすごい技術を持ってたのね」的なことになるのだろうと思う。 一方で一見誰でもできそうに見えるが、よく見ると「これは無理だね」というものもある。 例えばエクストリーム・アイロニングという競技があって、youtubeでそのスポーツを拝見させていただいた時に、「これは無理だね」と思った。 この競技を簡単に説明すると、山の頂上の切り立った崖でアイロンをかけたり、スカイダイビング中にアイロンをかけたりと、とにかく奇想天外な発想で「アイロンをかける」競技なのだが、これこそ、アイロンという誰でもできることを、難しいシチュエーションで行うことで、競技にしてしまった所に面白味がある。 アイロンは誰しもがやったことはあるのだが、切り立った崖の上ではできっこない。 やったことないけどできそうなカーリングとは、逆の心理が観る側に働くわけである。 またスポーツの中に、なんでこんなことをスポーツに?というものもある。 カバディというインドの国技があって、ご存知の方は良いとして、知らない人のために書くと7人で行う競技で、ひとりの攻撃者が相手の守備者にタッチして点数を稼ぐという、シンプルな競技である。 特徴的なのは、攻撃手は、何故か「カバディカバディ」と、声に出して連呼することである。 カバディってなんやねんと思って調べてみるが、どうやら意味のない言葉のようで、インド人も特に意味がわからないらしい。 北の国からの蛍がキタキツネを呼ぶときの「ルールルー」と同じだろうか。 内容はほぼ範囲の狭い鬼ごっこなのだが、これを競技として追求するのであれば、正直「何がおもろいねん」である。 この掛け声の軽さが、カバディを奇譚なものにしているのだが、実際にこれをやってみるとなかなかにしんどそうではある。 実際生で見たことはないのだが、便利な世の中で動画サイトなんかでその試合風景を観てみると、なかなかにハードな動きをしている。 それもそのはずで、諸説はあるのかもしれないが、物の本には、この競技はいわゆる戦略的な囲い込みで敵(または獲物)を、道具を使わず追い立てる、言わば戦いにおける所作からの競技であり、そのため、必然として動きは激しくなる。 良く知らないと軽く見がちだが、そもそもスポーツの起源は戦争に向けた鍛錬なので、大体のスポーツはハードなものである。 先に述べたスキージャンプのスキー自体は、戦いの場面で、早く雪道を抜けるために考案されたものであろうし、ある意味ノルディック競技自体が、兵隊の鍛錬として考えられたように思わなくもない。 ひょっとしたらカーリングも、雪上での戦いで、いかに敵地に爆弾を投げ込むことができるかを競ううちに生まれたものだとしたら、おいそれと自分にできそうだ、などと思うべきではないのかもしれない。 スポーツの精神は、人間の運動能力に関する尊敬であったり、苦しいことに自分を追いやりつつその状況を楽しもうとする精神であったりするので、見るのもやるのも楽しむということが一番重要なのかもしれない。 最後に小学校の時にこんな競技をやったことがある。 直線のある住宅街で、走りながらピンポンを押して走り抜け、何人が家から出てくるかを競うということを友達とやったことがある。 最終的には、ピンポンを押した時に家の中のオヤジが怒鳴りつけてきて、みんなで走って逃げたので競技として成立はしなかったが、なかなかに緊迫感があったものだ。 この競技をピンポンダッシュと言って、昔一部の残念な小学生の間で行われた軽犯罪である。 今考えればアホな小学生時代だったが、この軽犯罪も、人様に迷惑がかからない形にし、ルールを引くことで、競技として生まれ変わる。 そのルールのわかりやすさや競技の緊迫感が高ければ、ひょっとしたらオリンピック競技になったかもしれない。 そんなわけないか。
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