宗兄弟  慇懃無礼

義を先にすれば、後に利は栄え、富をよしとし、其の徳を施せ

(2013年6月12日更新)

  • 最近はマナーについてとやかく言う人が減ってきたらしい。 らしいと言ったのは、何となくテレビでそう言っている気がするからで、僕の周りについてはそんなにマナー違反の人もいないから注意する人がいなくなったようには思う。 僕が大阪出身だから過剰にそう思うだけかもしれないのだがしれないが、今住んでいる名古屋では、駅のホームでもちゃんと並んで待っていたり、信号も車が来ていないからといって、赤で進んだりはしない。 僕がいたころの大阪では、自転車は車道を横切り、路上駐車の車は2レーンにまたぐなどのマナー違反も多くいらっしゃったが、今の大阪では多分そこまでどぎつい人はいないのかもしれない。 少なくとも電車で弁当を食べるとか、タメ口で話してくるコンビニ店員のような、テレビだけでおめかけする人は、僕はついぞ見たことがない。 その代わりと言ってはなんなのだが、マナーではなく相手を考えない言動をする人は増えている気はする。 例えばエレベーターを降りるときに、気を遣って「閉まる」のボタンを押す人とか、荷物をいっぱい持っている人が入ってきても、何階か聞かなかったりと、何となくだがコミュニケーションを避けた行動をとる人は多いような気がする。 それはそれで何だかうすら寒い世の中だなあとは思うのだが、まあ仕方がないかなあとは思う。 今の世の中は、自分の情報が漏れただけで、詐欺まがいの電話や、郵便物が届く世の中だし、そもそも個人情報保護法という、濁点だらけの恐ろしい法律のおかげで、むやみに他人に個人の情報を伝えてはならない、という気風が立ってしまって、他人に接するのは危ないという意識がどこかにあるのは止むを得ないことかなあとは思う。 そんな世相を反映してか、最近は無礼という言葉をあまり聞かない。 それこそ、時代劇の中のお侍がよく使っていた「無礼者!手打ちにしてくれる」の無礼なのだが、この言葉は「無礼講」とか「慇懃無礼」などのような、熟語として使うことも多くある。 先日「無礼講」という言葉を話すと、その言葉を知らない子が会社にいたので、説明をした。 その子は「老婆心」という言葉も知らなかったので、ボキャブラリーの少ない子だったのかもしれないが、それくらい「無礼」の感覚も薄れてきている。 無礼の感覚がないから無礼の言葉もなく、無礼な態度が何かを知らないので、僕のようなおっさんは、何とか無礼とはどういうことかを教えたくなるのだが、僕もさして礼儀正しいわけでもないので、教えきることもできない。 もっと言うと「無礼」という字ってこんな字だったっけ?と、本エッセイを書きながら思っているわけで、一種のゲシュタルト崩壊を起こすほど、僕自身も無礼の感覚がなくなってきているようだ。 こういった傾向を生むのは全体主義の社会だった日本が、欧米のような個人主義になってきた証で、ビジネスの世界においても礼儀よりも寧ろ、技術や実力が優先されつつある。 世界に冠たるアップルの創業者は、若い頃はヒッピーのような格好で取引先に現れたりしたそうで、天才もあそこまで行くと、無礼も偉人伝のエピソードの一つになってしまう。 一般的に、突出した知識、技術のある人や、権力のある人、力がある人などは、その世界の中では強い権限を持つため、ある種その人自身が法になり得る。 法になった人は、同時に、礼節や倫理観まで統治することができるので、礼節を思んじるというような価値観などを採用する必要もないのかもしれない。 過去日本は、「徳」というものを大切にし、その「徳」を磨くことが、人の上に立つ上で不可欠だった。 近江商人の言葉に「義を先にすれば、後に利は栄え、富をよしとし、其の徳を施せ」というものがあるそうだ。 要約すると、人としての道理をわきまえた行いをしていれば、必ず利益は後からついてくる。 そして、その得た富に見合った善行を施せ、ということだそうで、これも商人らしい全体主義を見ることができる。 最近の傾向としては、他人と合わせるよりも個人の意思が大切で、それは他人を踏みつけてでも自分を守れ、というふうにも聞こえる。 そのためか表面を取り繕った「礼」を見せながら、不遜な心が見え隠れするような人を、本当によく見かける。 「お客様のためになるプランです」と言いながら、客単価をあげようとする物売りや、飯をおごろうと呼んだ後輩に 「先輩はそのプランから降りられたほうが、多分もっとスムーズに仕事は流れるのではないですか?」 と、礼儀も何もあったもんじゃない提案をする、入社間もない新人とか、数え上げればキリがない。 言葉尻は丁寧だが、そこに気が入っていない。 慇懃や無礼の意味を知らず慇懃無礼な態度を取る人が、何と実に多いことか。 そういった意味では、マナーという形だけのものを教え込むよりかは、自分が周りの人々や、物によって生かされているということを教える神道教育や、全体主義的な考えを教える必要があるとは思う。 修身の復活も良いかもしれない。(楠木正成はもういいですが) 因みに男性器が夏場に痒くなる現象を、陰金むれむれといいます。 ちょっと真面目なことを書きすぎたので、ストレスでしょうもないことを言ってしまいました。 無礼ですいません。
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