嘘  宗兄弟

神秘性と畏怖の対象

(2013年5月24日更新)

  • 村上春樹さんの本で、双子の女の子の話が出ているのを読んで、「ああ、僕も双子の女の子とデートをしたいものだ」と思った頃がある。 双子の女の子にはどこか神秘的なものを感じて、その神秘的な双子に挟まれて、手を繋いでデートなんぞをするのはどういう気分なんだろうか、と考えると、何だかドキドキする。 まあぱっと聞くと軽い変態なのだが、男性はわかる話ではないだろうか? 学生時代に何組かの双子を見た。 偶然だが全て同性の双子ばかりで、女の子の双子も友達にいた。 その子は性格が少し強めだったので、双子にまつわるメルヘンな感情は起きなかったのだが、それでもやはり双子の彼女たちが並んで歩いていると、ちょっとだけ「おっ」と思ってしまう。 まあ偶然虹を見かけた程度の衝撃ではあるが、何となく得した気分である。 現代人の鈍感な感性の僕たちがそう思うのだから、昔の人も双子については色々な考えがあるようで、日本では双子は忌みじきものとして扱われることも多くあったようだ。 同じ日に二人の子どもが生まれるのは、やはり神の恣意を感じずにはいられないようで、そこに畏怖が生まれる。 本来は神の子として育てられそうなものだが、畏れだけが専行し、やがて人間とは違うものとして疎まれたのかもしれない。 海外ではどちらかというと神秘性が優先しているようで、ギリシャ神話の結構メジャーな神であるゼウスの子アポロンも双子である。 僕は日本の双子を忌みじきものとしてとらえたのは、貧困が関係していると思っている。 農家などの大部分の生活は貧しく、一度に二人の子どもが生まれることは、そのままより激しい貧困に結びつく可能性がある。 要は、口減らしを行うための理由付けとして、双子がまるで悪しきもののようにされたのではないかと考えている。 有名な川端康成の「古都」の千重子も、双子で生まれながら捨て子に出されたのは貧困からだった。 同時にこの物語には双子のお互いが惹かれ会う神秘性も随所に描かれる。 双子の神秘性が美しく描かれる作品としては秀逸である。 また双子については、オカルトとも親和性が高い。 手塚治虫先生の漫画「ブラックジャック」で読んだのだが、「コルシカの兄弟」という話が合って、双子の一方が怪我をすると、両方怪我を負ってしまうという現象が漫画で描かれている。 いかにもありそうな精神的な相互干渉現象だが、これは双子にしかわからない独特の感覚なのかもしれない。 このように双子とは、神秘性と、畏れの対象と両極の捉え方をするようだが、僕はこの両方を合わせ持つ双子を知っている。 昔、日本マラソン界を牽引した宗兄弟である。 彼らは双子で、しかも相当にすごい選手であったのだが、兄弟で順着ということが多くあったようで、僕もうっすら記憶していたのだが、1985年10月の北京国際マラソンでは兄弟同タイムで兄茂が優勝しているらしく、兄弟でマラソンのあの長い距離を、同じ時間(スピード)で走るのだから、不思議なものである。 同時に同じ顔のランナーが、鬼気迫って後ろから追い上げてくるのだから、恐怖を感じずにはいられないだろう。 疲れた目に、同じ顔の二人が、同じストロークとスピードで向かってくるのだから、僕なら道を譲ってしまいそうだ。 双子が持つポテンシャルの高さにはただただ脱帽である。
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