シンデレラ  ラム

「ゲイシャ」信仰

(2012年7月13日更新)

  • 恐妻家の話をよく聞く。 その大抵はソクラテスの妻よろしく、夫をクズのように扱ったり、家のことを一切やらずに夫を召使いのようにこき使ったり、まあ、聞いていても心が痛くなってくるものが多い。 そこに愛があるのだろうか?と問いたくなるのだが、しかし、恐妻家を語るのが大抵の場合は夫の側からなので、正直な所は眉唾ではある。 例えば先に上げたソクラテスの妻クサンティッペについても、夫の頭から水をかけただの、やかましく攻め立てただの言われるが、実際は、学問に没頭するあまり家に十分な金を入れない夫に対し、妻が怒っての行動であるようで、現代社会に当ててみても妻に多少の分があることは否めない。 テレビでも芸能人がよく恐妻家の話をして、実際に嫁が登場したりして話を聞いていても、 「ああ、この人はちゃんと物事を言う人なんだなあ」 くらいの印象しか持てない。 僕の知る限り、恐妻とは、多少生活にだらしない夫に対し、まあまあ真っ当なことを言う妻という構図に見て取れる。 そんなことねえよ、という人もいるのかもしれないが、それでも盆暗な旦那と離婚せずに一緒に居るということは、歪でもあれ愛しているのだと思うので、恐妻という言葉はやめて煩妻(ボンサイ)くらいにしておくべきだとは思ったりする。 話は変わるが「ゲイシャ」と云う言葉が世界共通の日本語として認知されているのをご存知の方も多いと思う。 しかし、この「ゲイシャ」は、所謂京都の宮川町あたりの花街を、三味線を抱えて座敷に呼ばれて急ぐ「芸者」ではない。 「ゲイシャ」が指すものは大まか「慎み深く、楚々とした女性」と言う意味合いになる。 昔、大学時代に友達になった留学生のレネ君は、好きなタイプを「ゲイシャのような人」と言っていたので、芸者とはどういう人なのかを説明したことがある。 ローマ時代の風呂を題材にした、奇天烈な漫画の作家さんも、その著書の中で同様の指摘をしており、皆さん一様に外国人の「ゲイシャ」問題に頭を抱えておいでのようである。 芸者は読んで字のごとく芸を披露する人である。 その芸とは概ね三味線や日本舞踊であり、どちらも習得には相当の時間がかかる。 毎日の練習は欠かせないだろう。 それをお座敷と呼ばれる酒宴で披露するわけなので、安定した舞台や、台本のあるお芝居とは訳が違う。 客個人の相手もしなければいけないわけで、キャバ嬢の様に、ただ笑って相手に話を合わせていたらいいというモノでもない。 かなりハイスキルな仕事と言える。 好きなタイプが「ゲイシャのような人」を言い換えれば、努力を惜しまず自らのスキル向上を行い、またコミュニケーション能力が高い女性ということになる。 まあ、結構なスーパーウーマン(死後?)である。 外人の「ゲイシャ」信仰は、戦前戦後に於ける日本の外国紹介のあらゆる場面で、貞淑な女性、妻像が流布されてきたことに由来する。 そもそも日本人は体も小さく、成人女性でも140センチ台の人が多かった時代に、海外から来た人は日本人に「ロリータ」を見たことだと思う。 しかも日本女性が過去持っていた、一歩下がって夫の影を踏まずの精神を知り、ますます男性上位の外人たちは、日本に女性楽土の夢を馳せることになる。 その幻想の最果てが「ゲイシャ」という言葉にいつしか転換され、ウーマン・リブに疲れた外国の野郎どもを癒す言葉として世界を駆け巡ったのかも知れない。 芸子さんにとっては迷惑なイメージではある。 ここからは全くの個人的な意見だが、日本のオタク系アニメが世界を席巻しているのも、アキバ系アイドルの台頭も、全てはゲイシャ信仰に由来すると思っている。 女性が持つ可愛さだけをフューチャーしたアキバ系アイドルは、男性にとっては攻撃されない女性と言うことであり、外人が持つゲイシャイメージに似ている。 今のような2次元世界で、ゲイシャの実相的なキャラクターがいつから現れたのだろうと考える時、一つの金字塔的な作品を思い出した。 そう、過去数多のアンケートで彼女にしたいキャラクターに選ばれた、うる星やつらのラムちゃんである。 ラムちゃんは主人公の男の子あたるにぞっこん(これは死後)である。 しかしあたるは浮気もので、ラムちゃん以外の女の子を追いかける。 そんなあたるに「天誅だっちゃ」と言いながら、落雷を浴びせるだけ(だけ?)で、その他はおとがめ無しである。 しかもラムちゃんは可愛くてセクシーで、それでいて献身的である。 書いていて思ったのだが、確かにそんな女性はあんまりいないし、いたらいいなあとは思ってしまう。 しかし実際に好きな人が語尾に「だっちゃ」をつけて話をされても、それはただただ引くだけではあるが。 ゲイシャ信仰はつまるところ、男性が女性に描く偶像に過ぎないのかもしれない。 実相の世界にない幻想を抱くことが男性にとって安楽であれば、アニメやゲームのような二次元世界に助けを求める精神も否定はしにくい。 ますます男は住みにくい社会になっているのかもしれない。
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