ラム  村上ショージ

「ダメな人間」効果

(2012年7月22日更新)

  • 手塚治虫さんの漫画に「フースケ」(講談社)というものがある。 この漫画は、手塚先生が大人向けの漫画も書いた意欲作で、多くの社会派漫画を世に出した巨匠の下ネタなんかも見れて、底の深さにただただ恐れ入ってしまう。 内容は、平凡なサラリーマンである下村フースケ君が起こす奇想天外な話が中心なのだが、話が奇天烈で面白い。 時にシモネタ丸出しの生物、ペックスを見つけたり、下宿先にどこかの国の国王が亡命してきたり、突然女が男を襲ってきてもフースケは襲われなかったり、その都度フースケは何もできずに右往左往している。 フースケはダメで、女に持てず、しかも図太い。 しかし何となく愛らしく、少し憧れさえ抱いてしまう。 手元のフースケの全集の中に「無能商事株式会社」という話がある。 大企業の話で、社内は弱肉強食で、出世争いによる諍いや、友を押しのけて手柄を競うような実力主義の社内の中、ダメ社員フースケの課に、出向社員が係長職で配属される。 しかしこの男はまるで何もできず、書類の記入はおろか、慰安旅行のバスの割り振りやら一切合切の仕事ができない。 必然的に怒られる訳だが、彼はさして気にも留めない。 やがて社内でも何故あんなに無能な奴が出向で、しかも役職者なのだと噂になる。 まるでミステリーのような話なのだが、真相は少しだけ意外なもので、彼は社長が敢えて会社に派遣させた無能社員で、目的は、社内の雰囲気の改善というところだろうか? 社内が実力主義で殺伐とする中、社員はストレスを感じそのはけ口を求める。 また能力不足の社員も、コンプレックスを抱え、自分に自信が持てなくなっている。 「無能商事(何故商事なのかは?だが)株式会社」から無能な社員を派遣させることで、社員はストレスの発散を彼に求め、自分のコンプレックスはより低い人間を見ることで軽減される。 いささか消極的な理由で派遣されているわけだが、社内の福利厚生のような位置づけで、無能社員を入れているという訳である。 そんなアホなと思ったのだが、よくよく考えれば自分の会社でも似たようなことはあることに気づく。 確かに課内に一人くらいは無能とは言わないまでもそれらしき社員はいる。 しかし、このペケ社員が辞めた後も、これまでそうだと思われていなかった普通の社員が、いつの間にかペケ社員として見られていることが往々にしてある。 集団心理の中でそういうものがあるかは知らないが、必ず「ダメな人間」を作り、その人の存在が何らかの安堵感を与えていることはあるように思える。 考えてみれば会社が集団である以上、その集団の中に上位の者と下位のものが出るのは当然で、例えば中学時代は勉強ができて、その集団の上位の人間でも、高校に行けば同じ成績の人間ばかりが集まるので、場所が変われば下位になることはある。 こういう傾向は、数値の判断がある営業職的なものは当然としても、事務業務などでは本来上下が分かりにくいはずなのだが、何故か仕事ができない人というものが社内に作られてしまう。 漫画の世界のように、ストレスのはけ口というわけではないだろうが、人はどうしても自分を支えるものとして人より優れているという事実が欲しいわけで、結果何をするにしても、その集団の中で優劣を付けているのかもしれない。 と、ここまで書いてエッセイの表題に入ると相当に失礼ではあるのだが、村上ショージさんという芸人がいる。 彼のことで分かっているのは、明石家さんまさんと仲が良い、ピン芸人であるということ位である。 彼の芸はよくわからない。 何度か舞台やテレビで見たが、正直面白くない。 しかし、芸人にはすこぶる評判が良い。 最初はただ自分より面白くない人がいるという、先に挙げた無能商事的な、「ダメな人間」効果としての安心感からくるものだと思っていたが、どうやらそうではなく、本気で面白いと思っていて、なんだったら憧れの存在という場合もあるようだ。 その世界で食べている人の評価なので、僕にはよくわからないが、それを知ってから彼の芸を見たことがあるが、やはりつまらない。 しかし、受けなくても動じないハートの強さは凄いなあとは思うのだが、面白いかと言われたらそれほどでもない。 よくわからない。 集団の中の上位下位というものも、その集団にしかわからない評価なので外の人間が見てもあまりわからないなあ、と思う。 結果として自分は優れていると思っている人から、あいつは無能だと喧伝される日がくるかもしれない。 大事なのは何を言われても「何を言う」とギャグだか何だか分からないことを叫ぶ図太さが必要なのかもしれない。 人の世は本当に生きにくい。 ドゥーン。
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