キューポラ  ランボルギーニカウンタック

ガルウィング

(2012年5月16日更新)

  • 子供の頃にスーパーカー消しゴムなるものがあって、駄菓子屋に売っていたので何個か持っていた。 消しゴムとは名ばかりで実際には何も消すことはできないのだが、学校の机の上で、飛び出し式のノックペンで飛ばして、落とし合いをしたり、どちらが早いか競ったりして遊んだ。 今思えば貧乏くさい遊びだが、あの頃は十分に楽しかったのだろう。今でもその時に持っていた消しゴムの車の名前を覚えている。 ランボルギーニカウンタックという車も、その時に覚えた。 スーパーカー消しゴムはそもそも、僕より少し上の世代でスーパーカーブームなるものが起きて、当時集英社の少年ジャンプで掲載されていた漫画「サーキットの狼」の影響も手伝って、一大ブームを作ったそうだ。 集英社はこの頃から消しゴムに目を付けていたんだと思うと、のちのキン消しブーム(漫画キン肉マンの消しゴム)もスーパーカー消しゴムの成功の元に成り立っているのだろ思うと、なかなか上手い商売を考えたものだと感心してしまう。 スーパーカーは元々は走りの機能性を上げたデザインが、通常の車にない奇抜さがあり、特撮ものの車のような、子どもを惹きつける魅力があった。 僕の時代に既にブームは過ぎ去っていたが、そのデザイン性の高さゆえに、遊びの文化だけは残されていたのかもしれない。 しかし、このスーパーカーのモデルも、僕たち世代で再度注目を浴びることになる。 映画「バック・トゥー・ザ・フューチャー」のデロリアンである。 ドアがガルウィングと呼ばれる上にあがるタイプの車で、この映画を見た時に反射的にカウンタックを思い出した。 映画でも車はスピードを上げて時空を飛ぶ。 その姿はまさしくスーパーカーのそれであり、同時に僕の記憶の中では、スーパーカーは即ちガルウィングなのだと、その時に気づいた。 それはまさしくウルトラマンで言うところのスペシウム光線、リックドムで言うところのジェットストリームアタックのようなものである。 スーパーカーがスーパーカー善とするために、ドアはガルウィングでないとダメなのである。 それはまるで必殺技のようで、見る者に破壊的なインパクトを与え、記憶に叩き込ませるだけの奇抜さがあった。 よくもこんな車が流行したものである。 スーパーカーブームはまさしく、ただ生活のために何かを得ていた時代から、自分の趣味などにお金を使う時代への移行期ではなかっただろうか。 どうでもよいものにお金をかけて、自分以外に誰も喜ばないものに投資を行う。 やがてそれはオタク文化へとつながっていく。 ガルウィングはコストパフォーマンスや機能性などはどうでもよくて、わかる人にしかわからない格好良さを備え持っている。 今ではガルウィングの車はパッタリと見なくなった。 もともと普及するようなものではなく、多分故障もしやすいと思うので、仕事や生活で使うにはあまりにも支障がありそうではある。 スーパーで買い物に来た主婦が、ガルウィングのドアから出てきたら、それが村上里佳子さんだったとしても多分かなり引いてしまいそうだ。 しかし、こういうワカラン人には無用なものにしか見えないものを、もう少し着目していける余裕が今の日本にあれば、経済も少しは上向きにならないかと思わないでもない。 因みに頭を深く下げて、手を上に上げるおじぎを、ガルウィングおじぎというそうだ。 水泳のスタート台で同じ仕草で飛び込むのを、ガルウィングスタートと言うそうである。 当然嘘である。 このエッセイを書いて思い出したのだが、中学校の時に、近所にトランザムという、ボンネットに大きな鳥の絵が書いているスポーツカーが駐車場に止まっていた。 僕の友達がその鳥に持っていたペンで鳥の眼を書くいたずらをしてけたけた笑った。 多分水で取れる程度の落書きだったと思うのだが、時効だと思うので書いた。 本当にしょうもないことをしたものである。
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