ストライキ  キューポラ

鉄と森

(2012年4月30日更新)

  • 学生時代に古い映画を観ようと、黒澤明監督や小津安二郎監督映画なんかをツタヤで借りてきて観ていた時期がある。 きっかけは働いていたビデオ屋で観る映画がなくなったからだったのだが、黒澤監督の映画を観てその面白さにはまってしまった。 よく古い映画は時代が合わないので、テンポも遅く内容もなんだかよく理解できないものもあるように思うのだが、案外そんなこともなく、時代とのずれは味として感じられ、劣化どころか逆に新しく感じるものも多くあったりする。 特に邦画だと、昔スターだった役者の若い頃のりりしいお姿を拝見したり、この人この映画でちょい役で出てるじゃん、なんて新たな発見もあったりして、それなりに楽しかったりもする。 そんなノリで、大女優吉永小百合さんの古い映画はないかと探していたら、「キューポラのある街」という代表作に当たったので、キューポラってなんだろうと思いつつ借りてみた。 最初は、ゴジラの敵の宇宙怪獣キューポラが、宇宙から地球を滅ぼしにやって来たのを、地球を守る人々によって倒される的な、ソフビがなんでも鑑定団で高値が付いていそうな怪獣映画と思ったのだが、映画前半で早くもキューポラが何やらの煙突のようなものであることを知り、怪獣映画があの吉永小百合さんの代表作なわけないか、と思いなおした。 映画の内容も貧しい家に生まれた女子高生の、青春物語であり、吉永さんの若さが爆発していた。 若いうちから存在感と透明感のある、爽やかな方だなあと変な感心をしてしまった。 キューポラは映画の舞台ともなった、埼玉県川口市に多くあった鉄の溶解炉で、映画では筒丈の排煙筒が見えるだけなのだが、実際は溶解炉(窯)自体を指すらしい。 当時は日本中にあったキューポラも、その安全性からほとんどなくなってしまっている。 映画の中の街並みは、高度経済成長を象徴するような、工業地帯の形式が見てとれ、キューポラはその象徴のように描かれている。 僕も大阪は神崎川の近くに林立する化学工業のそばで育ったので、酸えた川の臭いと、なんだかよくわからない薬品の臭いを、映画の中で思い出していた。 僕の子供の頃でさえ、煙突はもうもうと煙を上げ、川は銀や赤の油に染まり、公害が比較的身近にあった。 それでも子供の頃はその異常な空に気づかずに、無邪気に遊び回っていた。 学校に黄色い旗が立つと、光化学スモックの警報が出て学校が中止になったりもした。 子供の頃は、そんな日をラッキーだと思い、体への影響だとか、そんな難しいことは考えもしなかった。 今は幸いだが、そんな旗がなびく日は無い。 文明の突き進むとき、決まって周りのものを壊し、それでも足りずに人間まで壊しかけて、初めて社会が気づいて待ったをかける。 そして技術力を上げ、少しの汚染と浄化を進める方法をあみだし始める。 人の歴史はその繰り返しではないかとよく思うことがある。 古来、人は山の民だった。 山は多くを生み、育てる。 山は恵みであり、宝であった。 人は山に神聖なものを求め、多くの神話の神々は山々に降り立ち、その末裔の豪族の墓である古墳群には山があり森がある。 今の世でも、神聖なるものしかその地を踏むことができない奈良県の三輪山は、山自体を神と崇める。 しかし、今の人々が山に対しての畏怖や尊敬を、富士山以外で持つことは稀である。 ドライブに行っても、遠くに見える多くの山は石炭や鉄鉱石や墓石などの原石の採取のため切り崩され、無残な岩肌を覗かせている。 山を破壊したものはなんであったのか? 人は文明を築くにつれ、その文明を象徴する建物を建て始める。 木の伐採が進み、多くの山で木が切り崩される。 奈良に都ができるようになると、仏教建築が進み、山の切り崩しはさらに進む。 当時の仏教は最先端の科学であり、医療であり、哲学であり、文明の最先端であった。 山は最先端の文明を誇示するために侵食され、鉄で作られた道具で崩され、木は鉄の加工をするための火で燃やされていく。 人々の心もいつしか森への信仰から、仏教への信仰にすり変わる。 文明はやがて鉄を求め、鉄を増やすべく、多々羅場を増やし、火を操り、そして森を失わせていく。 森は水を作り大地を造る。 火は鉄を作り、森を燃やす。 森は世界を作り、火は文明を造る。 文明を作ることはすなわち、世界を壊すことなのかもしれない。 キューポラがなくなったように、人々は文明だけでは生きていくことができないと分かり始めている。 ようやく僕たちは、次のステージに入ったのかもしれない。 即ち、文明と世界を共に考えるようになってきたのかもしれない。 連日の原子力発電所関連のニュースを見て思うのは、世界を傷つけるようなエネルギーは、いらないものなのかもしれないということだ。 世界を傷つけるものには、「NO」を突きつけることが、これからの文明をさらに良いものにしていくのではないのだろうか?
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